「和の哲学・実学研究準備会」メモ

平成22年10月24日 NPOフォーラム(永田町十全ビル302号室)

一色 : 卒業アルバム2000校を手がける印刷会社が「和の実学」導入。春先に納めないといけないので、24時間体制になり、社員疲れる。「和道」大和方式を実践。全員がいきいき、理念を実践して成果を挙げた。肩書きは自分で作る。営業第一課のようなものではない。
「和の実学(はる研究院))のマークを作成した。メビウスの輪のような、酸性とアルカリと相互に関係している。陽性と陰性、動脈と静脈、コミュニケイション理論。和道の実験証明あり、成果が上っている。

ーー: 「和の実学」の魅力:覇道と王道、和道があるが、聖人君子はなかなか待っても出てこない。しかし、和道の道は身近なところから出来そう。「和の実学」どういうところから思いついたのか?

大和: 20年ばかり前、経営関係の本としていい本があると大先輩から紹介される。杢流経営法を読めと薦められた。しばらくそのままだったが、しかし、あとで「読んだか」と、また言われた。たいていの本屋で売れきれていたが、閑古鳥のデパートに買いにいった。18世紀、恩田杢(おんだもく)家老の、「日暮らし硯」解説書の一種。成功したのは、人間尊重主義だったと説明していた。直感的に不十分だと思った。これを研究していけば、使える。それで研究に入った。
「日暮らし」恩田杢方程式を逆探知して体系化したのが「和の実学」。戦前から解説書はあっても、解明したのはない。最近の解説書に用いられた写本は劣悪。参考にした戦前のものは、格調が高かった。ただ本を書こうという所までいかなくて、対人関係に応用していた。便利に使っているだけの時期があった。
企業理念つくりの一環で、イスラエルに旅にでた。同国人と対話した。昼食会で竹村健一みたいなポジションの人だった。英語通訳を介して対話、日本には「和」が文化を超えた知恵になっていることを述べた。しかし、通じない。誤解ばかりする。通訳が泣きそうになった。書いたものは無いかと言う。単なる価値観ではなく、実学として書けば、わからないはずはないと思った。ものの分かる人なら、翻訳して、フィルターがかかっても伝わるように骨太に書こうと思った。それから交通事故にあった。スピンして崖が落ちかかった。天の鞭が入ったと思った。
その時から、書き始めた。いつ死ぬかもしれないと思って安全のために、書いたものをその時々で、メールで送った。一応のものができたとき、清水義晴さんとか、読んだらすぐに分かる人と集中的に出会った。
しかし、講演会では聞く人たちの雰囲気というのは、理解が悪かった。「軍事バランスで平和が保たれるような時代に和が効果あるのか?」とか、「北朝鮮が攻めてきたら和道でどう対するのか、そんな経営したら3日でつぶれる。」「理念では飯食えない」などと言われた。ランチェスター戦略とかが、ビジネスでは持てはされていた時代だ。企業に招かれて、幹部クラス20人などに語った。覇道論者ばかりで、根本的な考え方を変えるのは非常に難しいと思った。
なぜ分からないのか。理由は大別して3種類ある。1.情報不足、教えてあげればすむ 2.理解不足、説得すればいい 3.心が未成熟。これだと説得では難しい。「心の自立」ができていない人。躍起になって説得してもだめな人はいる。
覇道から和道へ、パラダイムシフトしないといけない。恩田杢の頭脳の中の方程式を逆探知し説明したものが本(「和の実学」)の趣旨。そのまま応用できるように心がけた。

ーー: −−英語版はあるのか?

大和: ある。以前のOS用のページメーカーで作成。変換しないとワードでは読み取れない。米国では図書館とかに寄贈された。米で3年にわたり「和のシンポジウム」をやったが、影響を残すような手ごたえのようなものはなかった。

ーー: 和道は、覇権主義の行き詰まりの現代にこそ説得力を持つ

大和: 中国、ロシア、覇権主義が跋扈している。権謀術数、冷酷無慈悲、政治軍事の歴史、ますます発達。王道は、尭瞬が徳を持って治めた伝説を利用して孔子が考えだしたのかもしれない。
王道時代は実際に存在したのか、研究のための資料が皆無に等しい。王道の特徴は、中央に圧倒的な文化、経済力、軍事力、があり、周辺は比べものならない世界。内部だけ見ている。中華、漢民族の圧倒的文化があった。他は夷のような時代は良いが・・
自分と肩を並べる対抗者がでると、生き延びていくためは、戦力と権謀術数に訴えるようになった。いかに騙されない、騙すか。同じ軍事力で効果的に戦い、天下を取ることを目指す。覇道の芽生え。
孔子が心を痛めて、王道を説いたが、現実的では無かったため、誰も耳かさず。平和な時期には儒家が使われ、戦乱の時代には戦略家が用いられた。
王道=徳力、覇道=戦力、和道=和力、 和力:言葉遊びに過ぎないかのようにみえる。しかし実際に使えて効果を持つ力の一種。英訳困難。無理に直訳すると誤解を生む。武力:上は核兵器から下は赤ん坊の拳骨まである。しかし、最低、最小の赤ん坊の拳骨では役に立たず。現代人は赤ん坊の拳程度の和力しか見たことがない。
信州松代藩家老恩田杢(おんだもく)の財政改革。武家・民衆は当初、懐疑的。「これまで毎回、失敗している。なおさら生活は追い詰められる。そのうち失敗するだろう」と、同情心も無かった。それを3年で財政再建に成功した。みんなが納得して賛成というまで、強力に人を動かした。恩田杢が死亡したとき、正月だったが、どの家も飾りを取り去りさって、その死を悲しんだ。恩田杢は権力で締め付けて人を動かしたわけではなかった。自発的に動いているので、手抜きの無い良い仕事をする。
和力とは、「この人には手抜きなどしないで心を込めて貢献しなければいけない」と思わせる力だ。直接的な和力はこうした形で現れる。軍事では生産力や輸送力が間接的な戦力となる、和力も生産能力、生産力を生かす能力など間接的なものがある。軍事では同盟国の戦力も有効、同様に本人だけでなく人脈の和力が有効。軍事力と和力は構造が似ている。

ーー: 和力と徳力の違いは何か。

大和: 王道でいう徳力は、尊敬にあたいする、自然にその威光に従うというもの。和道にも別の徳力の概念がある。
それは一種のエネルギーで単位はハート。喜びの量をもとに定義される。相手を喜ばせたときに、相手の中にこれだけうれしかったから、なにかの時にお返ししようというエネルギーが誘発され一般的には減衰しながら残留する。100喜ばせたとして、10とか、1しか残留しないし、個人差もある。蓄積率ゼロの人も。これは恩知らず。骨をおっても、ありがた迷惑でマイナスとなる場合も。
和道の徳力は、まわりの人たちから、「あのひとのためなら」と思われていることにより発生す る影響力。 欣量=欣度X時間、与えることは与欣、受けることは受欣、返すことは返欣、他者の
心に残留した分は貯欣。貯欣に基づく受欣力(授受力)=徳力ということができる。この徳力は和力の最も直接的な形。

ーー: 陰徳を積む、「積善の上に余慶あり」ということですか?

大和: 米国は心情的にフランスをイギリスより大事にする、独立当時、フランスに世話になった。いまだにフランスに対しては特別扱い。キリスト教世界では親切を受ける側も与える側も、お返しなど考えないという、その人の口から、米国とフランスの関係に関するこのことばがでた。さりげなく「個人間にも同様のことがみられるでしょう」と聞くと、それは自然の人情だと答えた。やはり個人の感情にも、与欣、受欣(授受)のエネルギーが存在している。これは世界でいけると実感。

ーー: マルクス、価値を労働・労働時間で測る。見えない心価・喜びの量を測ることをどこで気付かれたのか?

大和: 恩田杢の足跡、藩の武士の報酬を、財政難で半額以下のしていたものを元に戻す。きちがい沙汰だ。財税は逼迫せざるをえない。しかし、本当なら歓迎する。年貢滞納の百姓一同を鬼のような形相で叱った後、「これから先は、規定どおりに納めるなら、いままでのものは棒引きにする。また来年の分まで納めている百性には、先納した分はあきらめてくれ。しかも、今年も納めてくれ。」
さらに恩田は、商人たちに借りた御用金は子孫の代に、家が困ったときに、元金だけ返すという約束で借りた金を実質帳消しにした。当時の商人たちは、家の存続は命より大事だった。将来困ったとき、藩に金を貸した者が、役に立つのであれば、潰れるべき家が助かることで合意した。みんなが納得してくれなければ、うまくいかないという状況の中で、商人たちは「おっしゃる通りにします」となった。
先納組は、損をするが、これまで村に足軽100人が税の取立てに酒とか料理もてなさないといけなかったが、村への派遣を一切、しないことにするという条件もあり、納得した。
侍、百姓、商人、金銭的に損した人が多かったが、心価に注目すると、みんながプラスになる案であった。心価の導入は財産を作ったのと同じ。
この事例の成立は特別で、応用できる原則はないのか研究した結果、一般的に可能性があることが見いだされた。

ーー: 人間は肉身を持った動物的存在であると同時に、心をもった精神的存在であるから当然のこと。アダムスミスも神学・道徳・倫理学から経済学へ入っている。そしてくどいくらい、「他の条件が等しければ…..。」と前置きして経済を語っている。「経済は人間の諸活動の一側面にすぎない」というアダムスミスの原点に返るべき。昨夜も日本民俗経済学会理事長とお話したが、経済政策と文化政策は車の両輪で経済学オンリーで見える数値だけを追っているのは片手落ち、人間不在の経済政策が失敗するのは必然の帰結だと思う。

大和: 金銭など外的条件→反応のぶれよりも、心価→反応の誤差は少ない。腹黒い人も、心価の法則には従う。裁判でも和解制度は、日本が一番使われる。決着がつくよりも和解(示談)のほうが、社会的損失が少なくてすむことが指摘されている。国際社会でも第3国が仲裁に入れば、損失が少なくてすむ。日本人の得意分野だ。
今までの社会は、覇道社会。天下を取るという傾向のリーダーが育つのはやむをえない。
世界的に行き詰まり、和道にとってチャンス到来だ。

ーー: 海外の人は、明治維新はすばらしいと賞賛する。何より人的損失が少ない。明治政府はかつての仇敵、佐幕派の人材も大いに登用した。和の精神は、聖徳太子以前にも在ったのか。

大和:存在した。和でないと、許さないという風土は、縄文時代にも遡るとみられる。

ーー: 知識もっている人は知識を社会還元、後世に知的遺産として残すことに心掛けてきた。自らの五体を始め、水も空気も太陽もただ。人間にとって最も大切な物はほとんど無償である。受けている恩から考えればまずは恩返し、天に、人に、自然にお返しすること、まず与えることから出発すべきではないか?もっとも自然な宇宙原則から再出発すべきではないか?来月からの月例研究会に期待しています。

(池永・記