震度9.0、巨大地震が3月11日突然、東日本を襲った。3月17日現在、報告があっただけでも5000人を超し、行くえ不明者17,000人以上、避難者に至っては50万人以上と報道され、宮城だけでも死者1万人を下らないと県庁は予想している。交通通信網が寸断され連絡を取れない地域もあり、未だその全貌はつかめず、東京始め、東日本全般に計画停電、電車の運休も実施されている。
15日朝日新聞に石原知事の「やっぱり天罰」という見出しでコメントが目に留った。「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して積年たまった日本人の心の垢、我欲を一回洗い落す必要がある。」と。
我々はこの大震災から何を学ぶべきなのであろうか?
海外の友人から温かいお見舞いのメールをたくさんいただいた。私はその返事を長時間苦労して書いて感じたことがある。
今回の大震災で思い起こすのは、47年前の鮮明な『幻』である。神は本当に愛なのか求道を続けていた小生にある朝、突然、全身、神の神霊(愛)に満たされ、薄水色の地球がソフトボール程の大きさで見え、自分の手は神の手との感触があり、両手から愛の光線が絹糸のごとく地球を貫いていた。
携帯電話、インターネット、交通通信の発達は、ばらばらになった細胞が神経、血管とつながり、再び1人体を復帰していく過程のように思われる。エゼキエルの『死の谷』((Ezek 37:1-10))の死人の復活を想起させられる。
性懲りなく殺戮を繰り返し、年間4000万人もの餓死者を横に見ながら飽食に明け暮れている我々。「神の下の一家族として早く1つになれ!」との神の警告(Mt.12:25)、ショック療法のようにも思える。「すべて捨てて、世界を1つにするため海外へ出よ!」の後押しかも知れない。
先日国連事務総長のメッセージを眼にし、大いに感銘した。
「日本は世界中の困っている人を援助してきた最も寛大で強力な援助国の一つだ、国連は日本国民と共にある。今度は私達国連の番だ。我々は全力を尽くす。」
2009年国連ボランティアの日(12月5日)事務総長のメッセージ
「現在進行中の“Seal the Deal”(包括的な地球環境対策に“合意する”)と“Volunteering for our Planet”(地球のためにボランティア)キャンペーンは、ボランティアがいかに私たちの世界を形作る上で助けとなっているかを物語る最新の例といえます。個人の決断や行動は地球規模の課題の前では取るに足らないもののように見えるかもしれません。しかし、人々が自らの意思で団結し、時間と労力を捧げることを選んだ時、そこに違いが生まれるのです。
ボランティアリズムはコミュニティの持つ強さ、柔軟性、連帯性、そして社会的結束の源です。ボランティアリズムは多様性や公平性、すべての人々の参加に対する尊重を促すことで、前向きな社会変化をもたらすことができます。それは社会のもつ最も重要な財産の一つと言えるでしょう。
国際ボランティア・デーを迎え、私は環境保護や平和、開発のために自らの時間を捧げてくださっている世界中のボランティアの皆さんに感謝の意を表します。特に、国連の活動を支援している8,000人の国連ボランティアの皆さんに敬意を表します。
そして、この場を借りて、今年10月にアフガニスタンで亡くなられた2人の国連ボランティアと、これまでに国連のためのボランティア活動に参加して命を落としたすべての方々に哀悼の意を表します。国連に対する貢献と献身は、決して忘れられることはありません。」
日本のボランティア時代は阪神大震災より始まった。今度の東日本大震災は国際ボランティア時代の本格的始まりの年として歴史に記憶されるかも知れない。『為の生きる』、ボランティアに生きることは明日への人類道であるべきです。それも国連と呼応して世界の為に生きてこそ人類恒久平和が顕現するのではないでしょうか?
2011/03/18 大脇 拝