『なぜ憲法改正が必要か?』   長嶋 朋爾

はじめに

l大脇さんとは同じ大学の同じ学部で出会って以来、長いお付き合いになります。
「憲法のシンポジュームを行いたいので、改憲の立場から自論を開陳するように!」
とのご指摘、要望がありました。

憲法に関しては、この60年間あらゆる問題点が語りつくされていて、自民党改正
試案、読売憲法改正試案など準備万端です。「今更、改正論議など行なえば、かえって
異常で、歴史の流れに遅れた証人になりかねないので恥ずかしい位だと思うので辞退
したい。」と伝えました。むしろ「どうしたら憲法改正が可能か!改正を前提にした
改憲推進運動の討論会の方が良いのではないか?」と伝えたのでしたが、押し切られて
しまったたようです。

私は、ここにお出での二人の教授の先生方のように、専門家ではありません。学生の
時代から、どちらかと言えば、政治に深い関心を持ち、政治思想、政治学、政党研究等々、
政治の研究を続けて来ました。憲法については、政治との関連の中で学んで来ただけて
あって、憲法の専門家ではありません。

ただ、70年代初めのころ「この訳のわからない奇妙な憲法第9条は、誰か識者が
ケーデスにあって直接問いたださなければ、憲法の謎は消えないのではないか?」と
疑問を持ち続けて来ました。そしてその宿願がついに叶えられる時が来たのです。
1980年『諸君』に江藤淳・論文「1946年憲法―その拘束」が発表になり、
その後、江藤論文に驚いて、在米ジャーナリストの古森義久記者、また、駒沢大学の
憲法学者西修教授がケーデスに会って憲法第9条に関した根本的な謎が解明されました。
私に関しては長い間の「日本国・憲法第9条の謎」がこれで謎が解けたのでした。
その感激を伝えるために此処に参加することに致しました。

結論:「憲法に安全保障条項が不在である」この一点が究極の問題!

■安全保障問題

今、日本の政治は、ただならぬ混迷状態に落ち込んでいます。それは政治の中心課題、
安全保障・外交問題について、国のバックボーンである日本国憲法に安全保障条項が
不在であることと深い関係があります。憲法の前文には、「諸国民の公正と信義に
信頼し、我が国の平和と安全を保持せんと決意した」とあり、第9条には「戦争の
放棄」の項目・条項が書かれていますが、憲法には、特別に「安全保障条項」が
何処にも存在しないのです。憲法に安全保障条項がないことが、日本の政党政治の
安全保障政策を混沌と不明確にしてきました。

日米安保で戦後の安全と平和が保たれて来た!

(1)日本の安全保障の主役は「日米安保条約」である。中国軍事大国化と
米軍の相対的な国力の弱体化で問題は深刻になっている。「後方支援」、
「軍事力と一体で無い戦いに参加」、等と人ごとのように言っている段階で
はなくなっている。

(2)NATOにおける英国が果たした役割のように、「環太平洋地域」にて
日本は米国と連帯して英国・イギリスのような使命があると思う。1996年の
「日米安保新宣言」は極東→環太平洋地域の平和と安全に寄与する!と新宣言も
なされている。ソ連→中国の軍拡と覇権時代に対処。

(3)国連加盟国としての責任:国連決議に対応して、国際的な責任を果たす
為に憲法の制約、「集団的自衛権行使」が不可能な9条のもとで限界がある。
元々憲法第9条は「自衛権行使」を否定したところから出発している。

(4)「集団的自衛権行使」不可能の憲法第9条は、日米同盟の破滅事項であり、
もはや解釈改憲では9条の壁を越えることは困難である。

■憲法第9条改正問題は日本国民の最重要な課題。

憲法:ホットな今日的改正へのテーマ:2点提言します。

 ★「参議院廃止問題」・一院制議会、又は3分の2条項改正。
   ★「首相公選問題」:議院内閣性から「公選首相内閣制へ」

以下当日の下記レジメを参照のこと


結論:日本国憲法には、基本的人権の守護である、生存権、自衛権、正当防衛権の行使を可能にする「安全保障条項」が不在の欠陥憲法である。日本国憲法の代表的な欠陥は、この一点にあります。

長嶋朋爾 憲法問題研究家・世界戦略研究所上級研究員

 なぜ憲法改正が必要か?

「温故知新」は常識であり、米国憲法修正は1788年(200年間)→1992年修正27条:アメ
リカ合衆国国会議員の報酬変更あり、ドイツ共和国憲法:ドイツ共和国基本法は:1949
年制定→1990年:58回改正されている。日本国憲法96条には、憲法改正条項が存在
しているが制定以来一度も改正されていない。

■広辞苑によれば、「安全保障」とは「外部からの侵略に対して国家および国民の安全
を保障すること」と記されています。その為には「侵略を未然に防ぐ」ことが最優先
です。その為には「軍事的な抑止力」を備え「同盟関係などで軍事的なバランスを強
化」しておくべきであります。憲法選第9条ように、戦力を放棄し、交戦権を放棄し
たのでは、抑止力ゼロになり、安全保障にはなりません。侵略を未然に防ぐことがで
きません。「戦争誘発条項」になり、平和憲法でなくなります。

■「戦争放棄」とは、戦争と言う固形物がありそれをどこかに放棄するのではありませ
ん。戦争は勃発を防備すべきであり、『放棄』などと言う言葉自体が異常で間違いで
あります。抑止力が弱体で、軍事バランスが崩れた所に「戦争は勃発」する傾向があ
ります。故に、抑止力を高めて、軍事的な同盟関係を強化しておくべきであります。
これにより安全保障体制を確立し、戦争の勃発を未然に防ぐことができます。戦争を
放棄するのでなく、戦争の勃発を防ぐことが安全保障政策の第一の目的で有ります。

■戦力放棄、交戦権放棄、自衛権行使を否定する、憲法第9条は結果的には「戦争誘発
条項」であり、戦争放棄条項の内容にあたりません。平和憲法でなく「戦争誘発憲法」
とそういうべきでしょう。戦争は個形物で無いので、放棄するものではあり得ません。
合わせて「万が一戦争になった場合には如何なる対処をするのか」を決めておくことが
「安全保障条項」であります。日本国憲法には、この安全保障条項がありません。


占領政策としての憲法第9条
戦力を持ち、戦争が許される思想、理念とは何か?

■ジョン・ロックの抵抗権の思想=自然権思想=基本的人権守護の思想:「生存権、自
衛権、正当防衛権」の行使:「生命、自由、財産の不可侵権」とその守護、及びこれ
に敵対する勢力に対する「抵抗権」の思想である。安全保障理念の原点であります。

★1776年アメリカ独立戦争、★1789年フランス革命・・⇒基本的人権を守護す
る為に、「自衛権が行使」これが欠如している。憲法第9条は「自衛権行使」を否定
した条項である。少なくともマッカーサー草案はそのように書かれていたのである。

■ところが、憲法第9条「戦争放棄条項」=「戦争の放棄、戦力の放棄、交戦権の放棄」
条項の存在は、日本国民の基本的人権条項:EX憲法13条「全て国民は、個人として
尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に
反しないかぎり、立法その他の国政で、最大限の尊重を受ける」。等の基本的人権条
項軽視、無視、否定した「憲法の原理自体への違憲の疑いが強い条項」である!

■1945年日本に8月29日に着任した時点でマッカーサー連合国最高司令官に無電
で通達された、「米国の対日占領基本方針」によれば、米国政府は日本の「復讐戦争
リターンマッチ戦争」を恐れていたのが事実であった。

★「降伏後における米国の対日占領の基本方針」に明確に記されているその第一部:
「究極の占領目的」には、『日本が再びアメリカの脅威となり、又は世界の平和と安
全の脅威にならない事を確実にすること』と銘記されていた。

■ポツダム宣言第13条「日本軍の無条件降伏」及び、第9条には「日本軍隊の完全な
る武装解除」が銘記されている。このポツダム宣言・条項を確実なものにすることを
意図して、憲法第9条「戦争、戦力、交戦権の放棄」の誓いを押し付けたのである。

■★憲法第9条は「自衛権行使を禁じた条項」であった。日本軍解体の意図で挿入され
たポツダム・占領憲法の核心条項であった。9条は自衛権行使を否定する条項として挿
入された。

■民主主義憲法は、The Constitution Of the People by the People for 
the People ⇒ 日本国家国民の、日本国民による、日本国民の為の憲法が正当な民
主憲法である。 

憲法改正の現実
「温故知新」は常識であり、米国憲法修正は1788年(200年間)→1992年修正27条:ア
メリカ合衆国国会議員の報酬変更あり、ドイツ共和国憲法:ドイツ共和国基本法は:
1949年制定→1990年:58回改正されている。日本国憲法96条には、憲法改正条項が
存在しているが制定以来一度も改正されていない。

憲法改正の核心問題点
日本国憲法第9条「戦争の放棄」条項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放
棄する。
A前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、
これを認めない。

解釈改憲の歴史
憲法第9条:解釈改憲の歩み
@吉田総理の90回制憲議会での答弁:「自衛の為の戦争も否定」されている。

■吉田総理の答弁:憲法解釈としては、正しかった。
■日本共産党:野坂参三議員:「戦争一般の禁止でなく、侵略戦争禁止条項」にすべき
  ではないか! 彼は正しかった。

A1948年(昭和23年・2月)文部省指導書『新しい憲法の話』には:「今度の憲法
では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つの事を決めました。その
一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をする為のものは、いっさい持たないと
いう事です。これから先の日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の
放棄と言います。『放棄』とは捨ててしまう事です。
もう一つは、よその国と争いごとが起こったとき、決して戦争によって、相手を負か
して自分の言い分をとおそうとはしない事を決めたのです。・・また戦争まで行かず
とも国の力で、相手を脅すような事はいっさいしないことに決めたのです。これが戦
争放棄の意味なのであります。・・世界中の国が良い友達になってくれるようにすれ
ば日本の国はさかえるのです」と解説されています。

B1950年(昭和25年)6月25日:「朝鮮動乱勃発」:7月8日マッカーサーは、
吉田首相に指令を下し、7万5000人の警察予備隊創設と海上保安庁の8000人
増員を命じた。合わせて1951年(昭和26年)1月1日、マッカーサーは「年頭の
メッセージ」で「日本の憲法は国政の手段としての戦争を放棄している。この概念は、
世界が知るに至った最高の理想では無いにしても、最高の理想の一つを代表している。
しかしながら仮に国際社会の無法状態が、平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼそう
とし続けるならば、この理想があまりにも当然な「自己保存の法則に道を譲らなけれ
ばならぬ事」は言うまでもない。そして、国際連合の原則の枠内で他の自由愛好諸国
と協力しつつ、「力を撃退する為に力を結集すること」が諸君の責務となるのである。

憲法前文:「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我が国の安全を保持せんと
決意した」の放棄! マッカーサーの解釈改憲:屁理屈解釈改憲!前文及び9条は死
んでしまったと言える。革命的な解釈改憲である!デタラメ!の極みで日本人をなめ
ている!

米国副大統領の謝罪
C1953年(昭和28年12月)ニクソン副大統領は日米協会での演説で「もし19
46年に於いて非武装化が正しかったとすれば、何故にそれが1953年の現在誤り
であるのか。・・何故に合衆国はイサギ良くその誤りを認めないのでしょうか?・・
私は合衆国が1946年に誤りを犯した事を認めます」と公的な場で述べたのである。
『1946年憲法』70P

憲法第9条と最高裁判決への疑念?
D最高裁判決・統治行為論批判
砂川基地裁判、百里基地裁判、長沼基地裁判判決
日米安保条約違憲裁判、自衛隊違憲裁判→最高裁判決:統治行為論「明確に違憲とは
いえない。高度の統治行為なので、主権者である国民の代表である国会で決めること。
統治行為は裁判にはなじまない。違憲審査権の適用の範囲を超えている」。

■少なくともマッカーサーメモ・草案により「自国をも守る戦争の放棄」の文言を、草
案作成の責任者であったケーデスは憲法第9条が原理違反になる事を恐れて消去した
のである。憲法第9条第一項が、憲法の原理違反に成る事を恐れたのである。ケーデ
スの消去にもかかわらず、憲法9条全体の意図するところは変わっていない。

東京地裁の「伊達判決」(1957→1957判決)を始めとして、全ての下級審裁
判での判決は、自衛隊も日米安保条約も憲法違反の判決が出続けたのである。196
0年1月19日のワシントンでの署名日に合わせるがごとく、東京地裁から高等裁判
所をカットしいきなり最高裁に上告1959年12月16日に「伊達判決否定」・
「統治行為論判決」の超特急裁判、判決の背後には、米国、日本による政治的圧力が
存在していた事は言うまでもない事である。最高裁判決は三権分立の司法権独立にも
抵触する疑いがすこぶる高い問題判決ではあった。

注)最高裁は:「生存権、自衛権、正当防衛権」行使に反した「憲法第9条:戦争の放
棄条項」そのものが、基本的人権守護の意志を欠いた、憲法第13条の「基本的人権
条項」に違反する疑いが強く、憲法の原理違反である疑いが強い政治的な判決である
と言わざるを得ない。
違憲なのは自衛隊でなく「憲法第9条:戦争の放棄条項」自体
であるとの判決を下すべきであったのである。誤った不正確なその場しのぎの最高裁
判決が問題であり間違いであったのである。

憲法第9条の謎を解く
1)、「1946年憲法」江藤淳著 1980年、『諸君』1980年8月号
★1989年10月:ワシントンDCにある「ウイルソン研究所」:「ウイルソン国際
  学術研究所・米国版占領資料館」、検閲の実体調査;米軍民間検閲隊CCDが実施し
  た、新聞、雑誌、書籍などの」検閲実体調査: メリーランド州ス―トランド「合衆
  国国立公文書館分室」メリーランド大学付属マッケルディン図書館所蔵の「ゴードン
  ・W・プランゲ文庫=米国占領資料館」に一年間通い調査した。

★CCD(民間検閲隊):新聞、映画、放送部、「削除、発禁処分項目」:・・・・・・
(1) SCAP(連合国最高司令官又は連合国総司令部)批判、
(2) 極東軍事裁判批判
(3) SCAPが憲法を起草したことに対する批判
  日本国新憲法起草にあたってSCAPが果たした役割に関した一切の言及、あるいは 
  憲法起草に当たってSCAPが果たした役割に対する一切の批判。

(4)検閲制度への言及、:新聞、出版、映画、雑誌などの検閲が行われていることに
   関する一切の言及。
(5)合衆国に対する批判、
(6)ロシア批判、(7)英国批判、
(8)朝鮮批   批判、(9)中国批判、(10)他の連合国批判・・・全部で30項目の検閲指針、

GHQ憲法原案:マッカーサー・ノート:
■「国家主権の発動として戦争は、廃止される。日本は、国際紛争解決の手段としての
  みならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本はその防衛と
  保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を維持す
  る権能は、将来共に許可されることが無く、日本軍に交戦権が与えられることもない」

■憲法第9条第一項:国権の発動としての戦争放棄;「自国の安全を維持する為の戦争
 をも放棄」となっていたのである。間違いなく第一項は憲法第9条の核心であり、全
 ての戦争を放棄することを意図したものである。「米国への復讐戦争禁止」の「戦争
 放棄条項」であった。

■憲法第9条第一項:ポツダム宣言13項「日本軍の無条件降伏」、および9条「全日本軍の
               武装解除」に起因している。

★ケーデスインタビュー:1981年4月:古森義久『占領史録・下』講談社学術文庫
★ケーデスインタビュー:1984年11月:西 修・教授『文春新書』文芸春秋社


憲法第9条改憲試案問題点=憲法第9条第一項問題
 憲法第9条第一項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
 手段としては、永久にこれを放棄する。

         (『1946年憲法』江藤淳:文春文庫1995、P30→P32)

ここで最も注目すべき事は「自衛権」と「交戦権」の否定が、何よりもまず国家主権
  に対する、決定的な制限として想定されている事であろう。「戦争放棄条項」を「非
  戦条項」、あるいは、「平和条項」と解釈するのは、問題のすり替えであって、それ
  は正確には「主権制限条項」と理解されなければならない。その事を右のマッカーサー
   ・ノートは、もっとも明確に、かつ露骨に示しているからである。

★長島改憲試案、自民党改憲試案、読売改憲試案、中曽根改憲試案の比較。

■この項目は、元々(1)ポツダム宣言13条:「日本軍の無条件降伏」、(2)9条:
 「全日本軍の武装解除」、及び(3)「米国の対日占領方針・対米復讐戦排除」に
 由来している「自衛の為にも戦争を放棄する」の項目を含んだものであった。
 9条はこの文言が存在したので、あいまいさが無く完全なあらゆる戦争の放棄であった。
 単なる「不戦条約文挿入」では無い。日本は既に不戦条約に署名国になっている。
 1928年の「不戦条約」以後も全く変わらずに戦争は継続している。故に憲法第9条
 第一項も破棄する「白紙撤回」するのが正しいと考えるべきである。第二項は全ての
 改憲草案に破棄されていて、話にならない文言である。戦力の放棄、交戦権の放棄で
 あり異常な条文である。故に「憲法第9条の白紙撤回」と「安全保障条項銘記」が正しい
 のである。

■日本国憲法の最大の問題点は、憲法第9条で有るが、その大問題は国家の基本法
 たる憲法に「安全保障条項が不在である」事でもあります。憲法第9条を白紙撤回し、
 安全保障条項を銘記すべし! 憲法第9条制定の厳然たる意図は「戦争放棄、戦力の
 放棄、交戦権の放棄」=「自衛権行使禁止」の憲法であり、第9条は、反・非・安
 全保障条項であり、憲法第9条に関する限り、生存権、自衛権、正当防衛権・行使
 条項などの基本的人権を守護することの反対条項であり、人権軽視の反民主憲法条
 項である。


中曽根試案、自民党試案、読売試案、みんなダメです。今のところ「憲法第9条の白
 紙撤回と安全保障条項銘記」の長島試案のみが正しいと宣言するものである。

集団的自衛権行使の問題:
憲法第9条は、自衛権行使を否定した条項であった! (自衛権を否定したものでは無い。
その行使を否定した条項である)集団的自衛権行使不可能:国連憲章違反、日米安保
違反である。憲法98条は条約の遵守を銘記、憲法は最高法規であるとの間に矛盾問題がある。

日米安保条約
第5条: 両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び
安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険
に対処するように行動することを宣言している。

第3条:日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを定める。

国家軽視、愛国心軽視の亡国憲法
国家の防衛視点を欠いている憲法第9条は亡国
憲法である。愛することは守護することである。「日本国家を愛する」「家族を愛
する」事の重要性なき憲法であり、文化、伝統軽視とその抹殺はGHQの根本政策
であった。国防の基本精神と愛するものを守る事は一体である。愛国心が国家の運
命を決めてゆく。個人主義・エゴイズム、の蔓延とで礼節と品格と国家への誇りを
失う要因は憲法第9条に内在している。GHQの基本政策でもあった
(強く美しい国家日本:国民教育;愛国心の高揚が国家の品格を形成し、美しく強い国を造る。
愛国心は国民国家統合の力で有り、国家繁栄、発展の力であります)



国会議員は改憲の先頭に起つべきである
憲法改正・自主憲法制定は、日本国の真の独立闘争である!

1)憲法の欠陥を常時国会で取り上げて質問を行うこと
2)安全保障の責任を持っている自衛隊は、許される範囲で改憲の先頭に起つべきである。
  退役自衛隊員は改憲の先頭に起つべきである。
3)保守政党は、自衛隊OBを選挙で公認候補にして国会議員に送り込むこと。
4)選挙に保守改憲政党は公認する場合、立候補者は憲法改正の誓いにサインする。
5)ナデシコブームにあやかり「改憲女性議員同盟」「改憲女性100人委員会」等を
  立ち上げる。
6)学生運動を支援して、憲法改正学生同盟を全国に展開し、かつての安保破棄の学生
  運動以上の全国ネットワークを構築すること
7)谷垣でなく、改憲を使命と心得る大物議員を先頭にすべし!
8)改憲保守新党「日本共和党」の創設・石原新党党首、中曽根康弘名誉総裁
9)読売、産経、日経新聞は改憲の戦略を固めること及び『改憲誌』強化
10) その他


備考:「憲法改正条項」の先行改正を!

■第一の現行憲法96条は、
 @この憲法の改正は、各議院の総議員3分の2以上の賛成で、国会がこれを決議して、
  国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票又は
  国会の定める選挙の行われる投票に於いて、その過半数の賛成を必要とする。

 A憲法改正について前項の承認を経た時には、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を
  成すものとして、ただちにこれを公布する。

■第二の「憲法96条改正・読売改正試案」は、
 @この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の3分の2以上の出席により、
   出席議員の過半数での賛成で決議し、国会がこれを発議し、国民に提案して、その承
   認を得なければならない。
 A前項の規定にかかわらず、この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の3
   分の2以上の出席で、出席議員の3分の2以上の賛成で可決する事により成立する。
 B第一項の承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の最行なわれる投票に於い
   て、有効投票の過半数を必要とする。
 C第一項又は第二項の憲法改正案は、国会議員又は内閣が提示する事ができる。
 D第一項の承認を経た時は、天皇は、国民の名で、直ちにこれを公布する。

第三の「憲法96条改正・自由民主党試案」は、
 @この憲法改正は、衆議院又は、参議院の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛
   成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、
   特別の国民投票に於いて、その過半数の賛成を必要とする。

 A憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体で
   あるものとして、直ちに憲法改正を公布する。      




現行憲法9条改正(草案

1、長島憲法第9条改憲試案

■★憲法第9条白紙撤回と「安全保障条項銘記」

三章 安全保障 (生存権、自衛権、正当防衛権の行使)
        
日本国国家と国民は、領土と領海、主権と独立、文化と伝統の守護及び、国民の生命、
財産、自由及び幸福追求の権利などの基本的人権を守護する権利があり義務がある。国
防の責任、自衛権の確立及び安全保障体制の確立は、最も重要な国家と国民の権利であ
り義務である。

(1)前項の目的達成の為、

1)必要最小限度以上の陸海空軍及びその他の戦力の保持及び安全保障体制の確立に努
  めなければなければならない。その目的達成の為に内閣総理大臣を最高指揮官とす
  る国防軍・自衛軍を創設する。

2)内閣総理大臣は、国家の非常事態に直面したと判断した場合には、期間を限って、
  あるいは条件を明示して「非常事態宣言」を発令することができる。

 ★安全保障、軍事、非常事態に関しての諸事項は別途法律で定める。

3)価値観を共有する諸国との同盟関係を確立し、一層強固な安全保障体制を築くこと
  ができる。固有の権利である個別的自衛権及び集団的自衛権を行使することができ
  る。

(2)国際的な安全保障への責務
   日本国は国際連合加盟国及び国際社会の一員として、世界の平和と繁栄の為に必
   要と思われる応分の軍事的又はその他の方策による、国際的な責任を果たさなけ
   ればならない。

(3)侵略戦争の禁止
   国際紛争を解決する手段としての侵略的な武力の行使は禁止されている。この件
   に関する交戦権は存在しない。

 注)第何章、第何項などの記載は憲法全体の構成に基づくものとする。


自由民主党・憲法第9条改憲・試案

 安全保障

 第9条(平和主義)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
    国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は、武力の行使は、国際紛争を解決す
    る手段としては、永久にこれを放棄する。

 第9条の2(自衛軍)
  @我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高
   指揮官とする自衛軍を保持する。

  A自衛軍は、前項の規定による任務を遂行する為に、法律の定めるところにより、国
   会の承認その他の統制に服する。

  B自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行する為の活動のほか、法律の定めるとこ
   ろにより、国際社会の平和と安全を確保する為に国際的に協調して行なわれる活動
   および、緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守る
   為の活動を行う事が出来る。

  C前2項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。


読売・憲法改正2004年試案

 第三章 安全保障

  第11条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止)

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる
    戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
    永久にこれを認めない。

 (2)日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が世界から廃絶されることを希求し、
    自らはこのような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。

 第12条(自衛のための軍隊、文民統制、参加強制の否定)
  〈1〉日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊を
     持つことができる。

  〈2〉前項の軍隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
  〈3〉国民は、第一項の軍隊に、参加を強制されない。

 第四章 国際協力
  第13条(理念) 日本国は、地球上から、軍事的紛争、国際テロリズム、自然災害、
     環境破壊、特定地域での経済的欠乏及び地域的な無秩序によって生じる人類の
     災禍が除去されることを希求する。

  第14条(国際活動への参加) 前条の理念に基づき、日本国は、確立された国際的
     機構の活動、その他の国際の平和と安全の維持及び回復並びに人道的支援のた
     めの国際的な共同活動に、積極的に協力する。必要な場合には、公務員を派遣し、
     軍隊の一部を国会の承認を得て協力させることができる。
 
  第15条(国際法規の遵守) 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、
       これを誠実に遵守する。


山崎拓・憲法第9条改正試案

 第○章 安全保障
   第○条 日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、自衛権を行使
   する場合を除き、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、永久
   にこれを放棄する。日本国の主権と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際
   平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下、陸、海、空軍、そ
   の他の組織を保持する。

   第○条 非常事態の宣言は、法律の定めるところにより、期限を定めて内閣総理大臣
    がおこなう。

問題点の核心

  憲法第9条第一項の原文「国際紛争を解決する為、及び自国を守る戦争をも放棄」を
  うたっている。自衛権の行使までをも禁じた憲法9条第一項であった。

  自民党草案、読売改憲草案、中曽根改憲草案などみな9条第一項を残している。

  憲法第9条第一項は、あらゆる戦争放棄を宣言した項目であった。ポツダム宣言13
  項:「日本軍の無条件降伏」の系列にあるものである。ケーデスが削除した「自国
  をも守る戦争の放棄」はただ消されたが、他の文言はマッカーサー指令・草案メモ
  に同じである。私には第一項を残すことに意義をみいだされない。 

江藤淳の功績
1980年『諸君』に#江藤淳・論文「1946年憲法―その拘束」が発
表になり、その後江藤論文に驚いて、後日在米ジャーナリストの★古森義久記者が、ま
た、駒沢大学の憲法学者★西修教授が、憲法第9条草案の「マッカーサー・ノート」に
よって9条の草案を作成した、ケーデスに面会対談して、憲法第9条に関した根本的な
謎が解明されました。憲法第9条の条項と条文は紛れもなく、あらゆる戦争放棄、「自
衛権行使の否定」、交戦権否定の条文であることが明瞭になりました。長い間の「日本
国・憲法第9条の謎」がこれで謎が解けたのでした。憲法第9条の制定意図は「日本国
の自衛権行使の否定」が憲法第9条の制定の意図で有ることが明白になりました。「自
衛権行使否定条項」の憲法第9条は白紙撤回すべき条項であります。安全保障政策に真っ
向から対立する条項であります。

日本の安全保障政策
「憲法に戦争の放棄条項はあっても、安全保障条項が不在である!」この一点が究極の
問題! 政党の分立基軸は、外交・安保政策であり、安全保障政策こそ、政党の背骨で
ある! しかし憲法9条は自衛権行使を禁じた、ポツダム憲法、占領憲法であった。9
条制定の原点は自衛権の行使を否定した条項であった。ケーデスによる文言「自衛の為
にも戦争放棄」の消去により、意味不明の憲法9条になり、裁判所に至るも、あらゆる
多岐の解釈がなされて来たのである。憲法に安全保障条項がないために、今日本の政党
政治はただならぬ混沌状態に落ち込んでいる。政治の中心課題は、安全保障・外交政策
でありますが、日本国憲法には安全保障条項が不在で、憲法:前文には、「諸国民の公
正と信義に信頼し、我が国の平和と安全を保持せんと決意した」とあり、第9条には
「戦争の放棄」の項目・条項が書かれているが、自衛権行使否定の9条と、憲法に「安
全保障条項」が何処にも存在しない事が、日本の政党政治の安全保障政策を混沌と不明
確にしてきました。

■大江健三郎:『あいまいな日本と私』ノーベル賞授賞記念講演
 まさしく「あいまいな憲法第9条と日本」であります。

安全保障条項不在の日本国憲法下でも、「日米安全保障条約」で戦後日本の安全と平和
が保たれて来た! ★しかし日米安保の「集団的自衛権行使問題」の解決は:日米安保
堅持の緊急の課題である!  憲法第9条は、「自衛権・行使」を禁じた憲法条項である!
 自衛権行使には集団的自衛権が含まれている!

(1)日本の安全保障の主役は「日米安保条約」である。中国軍事大国化と米国の相 
   対的な国力の弱体化で軍事バランス問題は深刻になっている。「後方支援」、
  「軍事力と一体で無い戦いに参加」等と人ごとのように言っている段階ではなくなっ
   ている。

(2)NATOにおける英国が果たした役割のように、「環太平洋地域」にて日本は 
   米国と連帯して英国・イギリスのような使命がある。1996年の「日米安保新
   宣言」は極東→「環太平洋地域」の平和と安全に寄与する!と新宣言もなされて
   いる。ソ連→中国の軍拡と覇権時代に対処!

(3)国連加盟国としての責任:国連決議に対応して、国際的な責任を果たす為に憲法
   の制約、「集団的自衛権行使」が不可能な9条のもとで矛盾と限界がある。元々
   憲法第9条は「自衛権行使を否定」したところから出発している。

(4)「集団的自衛権行使」不可能の憲法第9条は、日米同盟の破滅事項であ  
    り、もはや解釈改憲では9条の壁を越えることは困難である。
                                               (了)

最近の長嶋論文一覧          長嶋ブロッグはこちら
1、政治思想戦としての憲法 問題 2011.5.4
2、憲法の平和主義について 2011.5.3
3、憲法96条の条項改正を 2011.4.28
4、憲法9条の改革を! 2011.4.8
5、憲法9条と政党政治 2011.1.28
6、環太平洋同盟と日本の使命 2011.1.1
7、公選首相内閣制の提言 2011.1.20
8、石原慎太郎の国政復帰を! 2011.1.5
9、定員400の一院制議会を! 2011.1.14
10、非核3原則と核抑止力 2011.2.6


    護憲・改憲のイメージを捨てよう
 
 ―結論を出していない人のための憲法入門―

 世に憲法論は多いが、どれも予め結論があって、白紙から憲法を考えようとする人には拒否反応が出やすい。ここではそうならないよう、論点を整理し、後は皆様に考えてもらうことと致します。学者の一部には、素人が何を言うかというような、尊大な姿勢も見られますが、最後は国民投票で憲法改正の是非を決めるのですから、論議は開かれていなければならないはずです。

護憲派」「改憲派」も時期によって変化
丸ごとの「護憲」?全否定の「改憲」?
「不都合の手直し」もダメか?  放棄した「戦争」は何か?
九条論の前提条件は何か?  国連との関係はどうか
国連による制裁のメカニズム  緊急の問題は集団的自衛権

 加藤秀治郎 東洋大学法学部教授


「護憲派」「改憲派」も時期によって変化

 まずは「護憲派」「改憲派」の固定イメージを捨ててもらいたいと思います。世間では「護憲派」「改憲派」の
対立があり、明確に二分されると思われているようです。全国紙では、『朝日』が護憲で、『読売』『産経』が
改憲といった具合です。しかし詳しく見ると単純ではありません。

 )政党では、自民党は改憲で、共産党と社民党は護憲とされています。しかし護憲の代表
格の共産党も、1946年に憲法を決める際には反対していました。9条の「戦争放棄条項」
に重大な疑問を提起し、防衛戦争は必要があればどの国もやるのだから、「侵略戦争禁止」と
いう事だけはっきり書けばよいと主張していました。何時からか共産党は「9条改悪反対」と
成りましたが、理由は明確にされていません。社民党の前身の社会党も、当時、同じように9
条に疑問を投げかけていました。
逆に自民党の前身の保守系政党は「新憲法」に賛成していま
した。事情が変われば護憲、改憲が入れ替わるという事です。各党が過去の事をもフランクに話して
くれると良いのですがね。


丸ごとの「護憲」?全否定の「改憲」?

 2)また次の点も柔軟に考えて頂きたいものです。「護憲」が丸ごと憲法の肯定で、改憲が
憲法の全否定かという点です。共産党は、国会の開会式に天皇が出席されるのに反対し、共産
党議員団が長らく欠席していたように、象徴天皇制にも微妙な立場です。〈天皇制の存続は民
主化を不徹底に終わらせる〉という事で、廃止を唱えていた時期もあります。作家の大江健三
郎さんなどは、天皇制に反対で、護りたいのは9条という事でしょう。
「護憲」といっても現憲法を
丸ごと認めている訳ではない人も混じっているのです。こういう状態で「護憲」「改憲」と語っても、話は
空回りしかねません。「改憲」側も、原則肯定、数個条の改正という人から、全面否定まで幅があります。


 「不都合の手直し」もダメか

 3)結局、中心は9条をめぐる対立なのが解かりますが、ここから別の問題が出て来ます。
他は本当に大丈夫かという問題です。国会は2007年の参議院選で「衆参のねじれ」が生じ
て以来、混乱を極めていますが、これも憲法が関連しています。

国民世論は敏感に反応しているようで、衆参の権限関係を改めよという声が高まっています。
政党は現実の政局を優先させ、ハッキリした事は言いたがりませんが、問題の所在を良く認識
しています。衆議院で三分の二が無ければ、自公連立与党は、立ち往生していたはずです。逆
に民主党が政権を握った場合、自公に参議院で抵抗されることが予想されますから、本当は話
し合い、打開策を決めておくのが筋なのです。

 4)だとしたら、憲法を手直しして、現実的にやって行けるようにするのが、本当に憲法を
尊重する姿勢だと思うのですが、日本では憲法となると、どうもフランクな話が出来ません。
護憲勢力も本気で政権を獲得する気があるのなら、放置しない方がいいのは解かっている
はずです。しかし衆参の権限関係(59条)を変えると9条改正につながるという事で、回避し
続けているのです。

 憲法に含まれる不都合に気づきながら手をつけないという事は、どうなのでしょうか。政権交代を
心から望む私は、9条を切り話してでも、ここは改正論議をすべきでだと思っています。憲法に向かう
姿勢として確認しておかなければならない点です。

 5)少し難しくなりますが、ドイツ人の憲法学者ヘッセが上手に説いています。実際に使え
る憲法にしておかないと、何かの拍子に「憲法を無視する挙に出るしかすべがなくなりかねな
い」立憲政治、「法の支配」にとっては、そういう姿勢が最悪だというのです。



放棄した「戦争」は何か

 さていよいよ9条です。皆さんは、9条だけなら護憲・改憲の意味は単純だと思われるかも知れま
せんが、そうではありません。護憲派にも「自衛隊も日米安保条約も憲法違反だからやめろ」という
人から、現状の自衛隊や、今の安保ならOKという人までいます。話を進めるため、この問題には
立ち入りませんが、「護憲」も色々だという事を頭に入れて於いてください。「9条改憲」の方も色々な
のは同じです。

 6)9条は「戦争の放棄」条項ですが、「戦争」の意味をめぐって、対立があります。侵略
戦争の放棄だけでなく、防衛戦争も含めて、戦争はしないという事だという立場と、防衛戦争
は認められるという立場の対立です
ここが第9条の一項と二項に関連してくる点ですが、こ
こでは条文に立ちいらず、中身だけで論じていきます。まずは、防衛も放棄したという立場で
す。二項で戦力は保持しない、交戦権は否認するとあって、全部の戦争を放棄しているのは明
白だという立場です。


九条論の前提条件は何か


 この立場を突き詰めると、自衛隊も憲法違反になります。そこでは、

 7)「北朝鮮が攻めてきたらどうするのか?防衛もしないのか?」と問われます。たいてい
の反論は「そういう事態とならぬよう、外交努力をする」というものです。
これは重要な論点です。先のヘッセ教授の言葉にあるように、憲法は万一の場合にも守られな
ければならないもの、と考えるか、憲法で理想を掲げよう、という考えに立つかで、大きくわ
かれます。
論理をギリギリ詰めますと、ある程度の合意が出来そうですが、現実には、この辺をあい
まいにして話すので、早くから「見解の相違」になってしまいます。侵略をされないよう、外交努力を
されるのは当然だが、万一の場合に備へ、防衛をするのだというのがヘッセのような、欧米での
結論です。もう一つの反論は、自衛の体制を整えたりすると、戦争を誘発するというようなことです。
そこに「唯一の被爆国」や、「侵略戦争で近隣諸国に迷惑をかけた反省」などの言葉が出て来ます。
法律論としては、戦後日本に特殊な議論という面は否定できません。

 8)憲法をどんなものと考えるか、あいまいにせずに考えないといけないでしょう。理想を貫くという
主張も出て来ますが、その場合、それを唱えている人が、理想に殉じるのは個人の自由としても、
他の人にも理想に殉じるように強制できるか、という疑問が残ります。

国連との関係はどうか
 9)私の大学のゼミでも、学生さんの立場は解かれています。「護憲」派の学生は、国連が
あるのだから、日本は防衛を考えなくともよい、という主張が出て来ます。戦後日本を占領し
たGHQ(連合国総司令部)のマッカーサーが、はじめに明文で、はっきり「防衛戦争も不可」
と書こうとしたのは、そういう考えがあっての事でしょう。実際には、彼の部下が、「それは
非現実だ」、として、GHQ草案で単に「戦争の放棄」とし、それが9条に残りました。その
経緯を追っている時間はありませんので、先を急ぎます。

 10)国連の安全保障は、簡単に言いますと、加盟国に侵略させない約束をさせ、違反した
国には武力制裁をしてやめさせる、という考えです。侵略すると世界中を敵に回すことになる
から、もう誰もヒトラーのような事はしなくなる、というのです(集団安全保障)。

 1)この仕組みは実際には冷戦の間、まったく働きませんでした。当時のマッカーサーの
判断は間違っており、後に米国は公式に謝罪しています。1953年にニクソン副大統領が、
米国は日本国憲法制定の時に「過ちを犯した事を認めます」と詫びています。


 12)米ソ冷戦は終結致しましたが、体制を異にする国が並存しているアジアで、国連の安
全保障が上手く機能するかどうかは、よく検討しなければなりません。国連を頼れるかどうか
です。これも詰めて議論すれば、「見解の相違」を言う前に、かなりの共通認識が得られると
思います。



国連による制裁のメカニズム

9条との関係で、ここで考えなければならない問題がもう一つあります。日本は国連の武力制裁に
協力すべきか、否か、またすべきだとしたら、9条の下で出来るか否かです。

 13)国連は武力制裁の姿勢をもつことで、侵略を抑えようという仕組みです。その武力制
裁は、実際には加盟国が兵力を出して行うという事になっています。仮に日本は9条があって
出来ないという場合ですが、他の国も皆それを言い出したらどうなるでしょうか?
国連の武力
制裁は成り立ちません。それに関連したエピソードを紹介致しますので、考える材料にしてください。
それは

 14)永世中立国のスイスが国連に加盟した時の姿勢です。2002年のことです。スイス
はそれまれで、加盟すると武力制裁に加わるように求められかねず、それは永世中立に反する
ので、あえて加盟しないという方針でした。欧州では冷戦が終結するとスイスは、武力制裁に
加わらないが、それで良ければ国連に加盟したいと申請し、この条件が認められたので国連に
加盟しました。


 15)日本の国連加盟はどうだったのでしょうか。1952年のことですが、特に軍事力を
保留するなどの条件を明示していません。「我が国の有するあらゆる手段を持って」協力する、
と言うにとどめました。外務省のお役人は、個の玉虫色の表現で、(憲法上、出来ないことも
ある)との趣旨を伝えた気になっているというのです。この言葉を聞いた外国には解かったで
しょうか?解かったのならともかく、そうでないなら、いざと言う時になって、日本の詭弁が
明らかになり、不信を買うだけであります。9条をめぐる問題には、この類のことが多く、よ
くよく考え直してみたいものです。



緊急の問題は集団的自衛権

最後の論点に進みます。9条がなぜ、この20年ほど問題にされて来たか、理由は二つあると思い
ます。一つはすぐ前にお話した、国際協力の問題です。もう一つは、より差し迫っている集団的自衛
権の問題、日米同盟に日本がどう向かうかの問題です。

 16)国連への協力は、先のような仕組みであれば、世界は平和になるだろうから、した方
が良い、と言う観点から議論されています。また、クエ―トのように実際に侵略された国が出
た場合、国連の平和維持システムを機能させるため、日本もイラク制裁に加わった方がよい、
と論じられています。

ここにも、協力しておくことが、回りまわって日本の安全の為にもなる、と言う考えがありま
すが、「回り回って」と言うくらいですから、本来、その考慮は直接的ではありません。しか
し、日本で国連を信頼する人には、「回り回って」と言うところがなく、必ず助けに来てくれ
る、と思われているようですが、どうでしょうか。


17)さて国連協力とは違い、集団的自衛権の問題はより直接的に、日本の安全につながると
語られています。集団的自衛権とは、簡単に言って、自国を単独で守るのが難しい場合、仲間
の国と一緒に防衛を計るものです。冷戦時代に対立の厳しかった欧州では、米国・西欧連合の
NATO(北大西洋条約機構)に対して、ソ連・東欧連合のワルシャワ条約機構が対峙してい
ました。


日本も、単独で防衛を計ることが出来ないと考え、日米安保条約という同盟体制を選びました。

 
18)1952年の独立回復時には、日本には軍備がありませんでしたから、米国に基地を
提供する代わりに、日本を防衛してもらうという条約です。しかしその後、日本も大きく変わ
り、米国からの要望も変わってきました。

「日本の周辺だけでもいいから、もっと防衛協力を緊密にしたい」ということで、「相互に助
け合う側面を強めてくれないか」という要望が米国から出ています。


 19)現状では、日本側が集団的自衛権を行使できないとしており、日米で同じような、
(対称的な)防衛協力は出来ません。その結果、日本の周辺の公海で、米軍と海上自衛隊の各
艦船が並んで航行している時に、自衛隊の艦船が攻撃されれば、米軍も戦うが、逆に米軍の艦
船が攻撃された場合、理論上自衛隊は何もできません。

 20)国際問題は相手があることですから、相手の立場に立って考えてみる必要があります
が、これでは米国の国民の間から、日本への不信が生じかねません。まだ米国民の大半は、こ
の条約の実体を知らないので、普段は特に問題化していませんが、先のようなケースが、実際
に生じれば、日米関係は深刻な事態となるでしょう。

北朝鮮の核兵器から日本をどう防衛するかという、緊急問題を抱えている日本としては、この問
題に決着をつけなくてはいけません。頼らないのなら、その事を明確にして他の防衛手段を講
じなければならないでしょう。何時までも先送りには出来ないのです


皆様の組織も、憲法問題を先送りにはせず、きっちり結論を出して頂きたいと思います。

         ご清聴ありがとうございました。


 先日のものと両方を見ながら聞いていただくようになっています。 

講演レジュメ 加藤秀治郎 2011、12、13

0、はじめに
  フェアな論戦――論点回避をしない、不利なデータを隠さない(@、A)
  1946年に反対だったのが、現在は擁護なのはなぜか、理由を説明してもらいたい。

1、「不磨の大典」としない(B、C)
  戦前、東京帝大の憲法教授・筧克彦教授 拍手を打ってから講義
   不都合は改める戦後の(西)ドイツ、ほぼ毎年の改正

2、「必要は法を破る」(ビスマルク)
  憲法擁護派こそ守れる憲法を求める姿勢を
(D)

3、戦争の三類型(E)
   侵略戦争
   防衛戦争: 不戦条約や国連憲章など、こちらは肯定
   武力制裁(国連):「戦争」と言わないが事実上は「戦争」
            (国連は「正義ある平和」)


4、「憲法」の意味――理想の宣言か、現実に意味ある拘束を課すものか(F、G)
    政治的決定は他者も拘束(公共選択)――理想に殉じることを他人に強制できるか?
  (ジョージ・オーウェルの「パシフィスト」絶対平和主義者についての論評)
  (「彼らが暴力を『放棄』できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使
    してくれるからだ」)

  (「ナショナリズムについて」岩波文庫『オーウェル評論集』) 
   経済的決定は個々の選択(市場での選択、受益者負担)

5、第9条制定の経緯(H)
  マッカーサー・ノート(3項目か?)では「防衛戦争も不可」→GHQ案で消える
  (GHQの「秘密検閲」のため、経緯は知らされず。占領終結後もなぜか議論少ない)

  その後、日本側が帝国議会で芦田修正(「前項の目的を達するため」を挿入)
  1項 戦争の放棄, 2項 戦力の不保持、交戦権の否認

  芦田修正を受けて連合国極東委員会から「文民条項」の要求
  (軍の復活の可能性を感知したため)

 これにつき二つの解釈
     A、戦前の陸海軍相現役武官制を防ぐ「歯止め」として(改憲派・西修教授説)

   B、〔自衛戦力を合憲とする解釈が出てくる〕「可能性を封じるためにだめ押し」
     と
して要求(護憲派・古関彰一教授説)
     (9条を最も詳しく跡づけた佐々木高雄『戦争放棄条項の成立経緯』は西説を支持)
     (同書はなぜか長く双方が無視。「焚書」にあったかのような様相。高価なためか?)

6、国連との関係(I、J、K、L)
  ずるい日本的「玉虫色」の表現(M、N)

7、集団安全保障と集団的自衛権(O)
  「国連の集団安全保障と自衛権」の関係は、「警察と正当防衛」の関係に類似
  しかし、相違もあり。国連は日本国内の警察のように機能するか?

  集団的自衛権(P、Q)

8、「日米同盟」の変則性(Q)
   米国が日本の防衛に協力
   日本は米国に基地を提供

9、「日米同盟」は機能するか?(R、S)
   米国の政府関係者は変則性を認識しかし、米国民は知らないまま。
   いざという時は、どう反応するか不安がある?

参考文献 加藤秀治郎『憲法改革の政治学』第2版、一藝社、2005 

加藤 秀治郎(かとう しゅうじろう、1949年 - )政治学者。東洋大学法学部教授。

 岩手県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科修了。京都産業大学教授を経て、現職。

主な著書
 『戦後ドイツの政党制――東西ドイツ政党の政治社会学的分析』(学陽書房, 1985年)
 『政治学入門』(芦書房, 1987年)
 『「茶の間で聞く」政治の話のウソ。』(学陽書房, 1990年)
 『政治のしくみ――図説日本はこうなっている』(PHP研究所, 1993年)
 『ドイツの政治・日本の政治』(人間の科学社, 1996年/増補改訂, 1997年)
 『政治学の基礎』(一藝社, 2001年)
 『「憲法改革」の政治学』(一藝社, 2002年/増補改訂版, 2005年)
 『日本の選挙――何を変えれば政治が変わるのか』(中央公論新社[中公新書], 2003年)
 『憲法改革の構想』(一藝社, 2003年)
 『政治学』(芦書房, 2005年)
 『日本政治の座標軸――小選挙区導入以後の政治課題』(一藝社, 2005年)

共著 [編集]
 (中村昭雄)『スタンダード政治学』(芦書房, 1991年/新版, 1999年)
 (楠精一郎)『ドイツと日本の連合政治』(芦書房, 1992年)

編著 [編集]
 『リーディングス選挙制度と政治思想』(芦書房, 1993年)
 『日本の安全保障と憲法』(南窓社, 1998年)
 『選挙制度の思想と理論――Readings』(芦書房, 1998年)

共編著 [編集]
 (渡邊啓貴)『国際政治の基礎知識』(芦書房, 1997年/増補版, 2002年)
 (岩渕美克)『政治社会学』(一藝社, 2004年)

訳書 [編集]
 ラルフ・ダーレンドルフ『ザ・ニューリバティ―ポスト「成長」の論理』(創世記, 1978年)
 ラルフ・ダーレンドルフ『現代文明にとって「自由」とは何か』(TBSブリタニカ, 1988年)
 R・ドーソン, K・プルウイット, K・ドーソン『政治的社会化―市民形成と政治教育』(芦書房, 1989年)
 ラルフ・ダーレンドルフ『激動するヨーロッパと世界新秩序』(TBSブリタニカ, 1992年)
 ラルフ・ダーレンドルフ『政治・社会論集―重要論文選』(晃洋書房, 1998年)
 ウォルター・ラカー『ヨーロッパ現代史―西欧・東欧・ロシア(1-3)』(芦書房, 1998年-2000年)
 ラルフ・ダーレンドルフ『現代の社会紛争』(世界思想社, 2001年)
 G・レームブルッフ『西欧比較政治――ータ/キーワード/リーディングス』(一藝社, 2002年)
ド ナルド・R・キンダー『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』(世界思想社, 2004年)
                     日本国憲法
-----------------------------------------------------------------------------
      日 本 国 憲 法 前 文(1946年11月3日公布)
-----------------------------------------------------------------------------

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの
子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢
を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意
し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国
民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者
がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この
憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅
を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚す
るのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持
しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有するこ
とを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないので
あつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を
維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを
誓ふ。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを
誓ふ。

第一章 天皇
第一条【天皇の地位・国民主権】天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ
つて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二章 戦争の放棄
第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
1, 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦
争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。
2, 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦
権は、これを認めない。

第四章 国会
第五十九条  法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決した
         とき法律となる。
2, 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員
  の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

3, 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くこと
  を求めることを妨げない。
4, 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六
  十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみ
  なすことができる。


第九章 改正
第九六条【改正の手続、その公布】
1, この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議
  し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票
  又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2, 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体
  を成すものとして、直ちにこれを公布する。



                 ガンジーの言葉 
   
   「我々人間は、どこへ行こうとも人々の心に 平和と非暴力の種を蒔き続けるこ
      とに命を捧げなければならない」

     あなたが、他の人々に求める変化を自分で行いなさい。

   「人は、自らの内面から、自身の平和を見いださねばならない。そして、真の平
    和は外界の状況に左右されるものであってはならないのだ。」       

   「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものだ。ほんの
   少し汚れても、海全体が汚れることはない。」

   世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え
   去るであろう。

   『もし、ただ一人の人間が最高の愛を成就するならば、それは数百万の人々の憎
    しみを打ち消すに十分である』

    最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである。

   『すべての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の願いである』

   7つの社会的大罪: 

   @ 原則なき政治   A 道徳なき商業  B 労働なき富  C 人格なき学識
      
   D 人間性なき科学 E 良心なき快楽  F 献身なき信仰

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