新しい文明を語る会は、産業人と学界人(PWPA)が協力して創設した会で、毎
月、例会を開き、文明論的観点から今日のあらゆる諸問題の解決のあり方を探
究しています。今回のレポートは、1976年3月から1977年10月までの数回の月
例会の要旨をまとめたものであり、文責は大脇にあります。
300回近く続いた本会の
レポートが人類の知的遺産として後世に残ることを祈念致しております。 以上

 

第1回 「文明的転機における大学の役割」

筑波大学副学長 福田 信之

一、現代社会の特色 

第二次世界大戦を契機に巨大技術が誕生した。
 ①アメリカのマンハッタン計画
 ②イギリスのレーダー開発

これらの技術が戦後の社会と結合して巨大技術文明社会を発展させた。今や、我々の生活は
技術なくして考えられない。この技術そのものがもっている特色(プラス面、マイナス面)が我々
を変えつつあるのが現代である。
 

二、現代は大きな文明的転機 

現代社会には二つの文化・世界観・価値観が共存して、それが混乱の原因になっている。明治時代
にも二つの文化が共存していたが、富国強兵という国家目標があったため混乱が表面化しなかった。

世界的には、共産主義・全体主義と民主主義の二つの社会が共存している。このような二つの文化の
対立は過去の文明的転機において共通してみられたことである。
 

三、日本特有の問題 

日本人は島国根性が強く国際性に欠けており、国際競争力を必要とする現代においては極めて不利で
ある。

議会制民主主義が正常に機能しておらず、ロッキード事件やスト権ストにみられるように、自己中心的な
欲望が横行している。また共産党は民主主義の名の下で人民民主々義(=共産主義)を拡大させている。
 

四、今後の日本の課題 

十年度程度の総合的な国家目標をはっきりと立てる。そして、政治、経済、社会、文化等にわたって広い
国民的コンセンサスを得るようにする。その目標に従って五年計画、年次計画といった政策提言をする。

そのためには学界、政界、財界の相互協力が必要である。 

五、大学の役割 

明治以来の日本の教育は西欧の既成知識を吸収するのに追われ、独自の学問が発達しなかったため
創造的な面が欠けていた。現在、日本の学者が世界的に評価されないのは独創性がないからである。
巨大技術の中でも日本人が独創的に研究開発できる分野を見出し、その分野では世界のトップになる
べきである。

創造的な科学技術教育ができるよう、学校教育を根本的に改善する必要がある。(一九七六年三月)


新しい経済学の探求
第2回「日本産業の新しいあり方」
        世界経済調査会理事長 木内信胤

一、日本国の新路線
私の属する「産業計画懇談会」が昨年暮に発表した「新路線の発見と各界の適合」という
レポートに基づいて報告したい。昭和四十八年の春、我々は「産業構造の改革」という
レポートで日本の今後の産業構造改革について提案したが、はからずも石油危機発生
によりその路線通りに行く必要が起った。我々は、昨年暮のレポートでは「新路線」を
提言し、それによってのみ不況、公害問題、貿易問題を解決することができ、なおかつ
七〜八%の成長も可能であることを述べた。具体的には今後縮小すべき産業のネガ
ティブ・リストと、開発すべき産業のポジティブ・リストを提示した。

二、表層的にみた「新路線」
もしも旧路線で進めば、昭和六十年には日本は全世界の輸出される資源の半分を消費
するようになる。それは許されることではないから、これまでのような遮二無二走る姿勢を
改める必要がある。「新路線」で興すべき産業を示したポジティブ・リストには、石油代替
エネルギーや住宅がある。現在日本の住宅は貧弱なので一戸建住宅の新技術開発を
やれば需要はいくらでも伸びる。

対外貿易において、もとの日本は、逐次相手国産業をつぶしつつあった(繊維・金属食器・
オートバイ・時計)。しかし、競争相手がなくなっては意味がないので、新路線では、輸出税
をかけるなどして相手国にハンデイを与え適当な競争を温存する必要がある。
つまり新路線をとるためには人生観、世界観、経済観の転換が必要であるが、その新路線
の具備すべきは次の六つの条件である。
①高度成長路線の転換②貿易に節度③日本独自の個性に基く国造りと諸国との調和
④食糧自給度の向上⑤インフレを起さぬこと⑥意味の多い仕事への労働力の移動
新路線への転換には「政府の職務」を再考する必要がある。つまり福祉国家を考え
なおす等、政府の仕事を縮少すれば、役人も少なくなり減税が可能となる。又国民の
財産形成はまず国債から、の姿勢が望ましく、政府に多くを望むより自分でやる姿勢を
持つべきである。

三、深層的に見た新路線
文明論的に以上の新路線を考えると、
①物質本位からの脱却(戦前の富国強兵、戦後の経済復興主義の見なおし)
②優勝劣敗的競争原理からの脱却(進化論・適者共存の考え方の見なおし)
の二点が要請される。この二点から前掲の六項目をみると、これが深層的な"
事物の論理"に基づくものであることがわかる。

四、新しい経済学の誕生
ケインズ経済学といわれる現代の経済学は病気である。というのは、社会科学は
人間社会を扱う故にまず"人間の心"を考えるべきであるのに、自然科学的実証
主義的方法論に偏しているからである。ケインズ経済学は社会主義的風潮と合体
し、これに計量経済学的手法が結びついて病状を重くしている。もう一つの大きな
病因は過剰情報の氾濫であり、これが新しい学問の誕生を困難にしている。
新しい経済学は単独に"経済学"として成立するのではなく、ハイエクが経済学・
心理学・社会学・歴史・哲学を包括的にとらえたように"人間社会を研究する学問"
の一部となるべきである。それは"新しい文明"ヘと人類に方向性を与えるものの
ひとつとなろう。(一九七六年四月)


第十回「近代の終焉」日本はどう変わるか
      
 元早稲日大学教授 難波田 春夫

序言「日本の悲劇は・・」(カール・レーヴィット)

一、近代の本質

1、近代社会を貫くもの−−人権思想

人権思想は権利章典(二六八九)、フランス人権宣言(一七八九)に始まり、
第二次大戦後の世界人権宣言(一九四八)で頂点を極めた。

2、権利の実在根拠−−世界人権宣言を例として
権利の要求は義務を実行する人がいて成り立っている。

3、近代以前−−iusとdiky
「権利」「義務」という言葉はラテン語ではius、ギリシャ語ではdikyであり、
いずれも一つの言葉(正しいという意味)で二つを表した。

4、思惟の論埋と実在の論理−−自同律と相互律
近代になって権利のみが主張されるようになったのは、人間の理性が
絶対化され、思惟の論理(自同律)がそのまま実在の論理ととられるように
なったからである。古来、宗教は原罪、煩悩といって理性の限界を教えてきた。
功徳天と黒闇天の例えは、Aは非Aによって支えられているという実在の論理(相互律)を教えている。

5、近代合理主義の基本的特質
自同律の論理を社会にあてはめると個人的自由主義になる。

二、近代社会の発展と限界(1)

1、個人主義的民主主義から「組織化された大衆民主主義」ヘ

利害を共にする個人は組織化され、その力で所得の増加を計るようになった。

2、パイ(国民所得)の分奪り競争とインフレの必然性
大衆の要求に応えるためには絶えざる経済成長が必要になり、それは必然的にインフレをもたらす。


三、近代社会の発展と限界(2)

1、発展のテコ−−技術の進歩
(生産力の発展)の在り方
技術は技術であるという自同律的原理により、生産力を発展させることにのみ役立つ技術が進歩した。

2、経済発展と過剰生産
現在の過剰生産はケインズでは理解できない。耐久消費材をできるだけ早く捨てなければ
次の生産ができなくなった。

3、その到達点−−無駄の制度化
無駄使いをスピードアップすることによって生産と消費が辛うじてバランスをとっている。
これが今日の経済の根本的な矛盾。

4、経済循環の無意味なスピード・アップと人間疎外
人間は猛烈に働かねばならず、しかも生活水準はそれ程上らない。
何故こんなに働くのかと反逆する者が出てくる。

5、成長の限界資源、環境汚染の面でも限界がきている。

6、catastropheとanastrophe(破局)
不況にも拘らず国民の要求に応えるためにはインフレにせざるをえず、
スタグフレーションに陥る。これが近代の終焉の現象形態である。近代の破局は
anastrophe(上方へ無限に発展してゆき突然転覆する)である。

四、新しい時代の原理と兆候

1、真理の現われ方−−理性の狡智
崩壊現象の中に様々な真の根拠=実在の論理=相互律が現われているが、大部分の人
は気付かない。

2、社会内での変化−−資本主義から社会主義へでなく、自同律から相互律へ
人間関係は個人主義から共同体へと進みつつあり、企業は企業のみでなく社会全体に
責任をもつようになってきている。その最先端にあるのがファッション産業である。
労働組合は経営参加から組合員が株主になる所有参加へと進んでいる。

3、豊かなる社会から美しき社会へ
覚めた目でみれば新しい文明の萌芽は随所にみられる。それを人々に知らせる
のが我々の使命である。(一九七六年十二月)
ひとつとなろう。(一九七六年四月)

第三回 「アメリカ文明?それに対して我々は何を為し得るか」
  元立教大学総長・世界平和教授アカデミー会長 松下 正寿

一、アメリカの建国精神

アメリカの建国二〇〇年を迎え、アメリカの建国精神が活発に論議されると思
う。その精神として大ざっばに言ってピューリタニズム、独立宣言書の精神、
そして一般に無視されがちであるが、アメリカ合衆国憲法の精神の三つが挙げ
られる。

ピューリタニズムは、ヨーロッパから移住して来たピューリタンによる「神」
中心の信仰である。しかし、独立宣言の精神は、ピューリタニズムと密接に関
係していることは勿論であるが、当時、宗教的争いがあって、宗教による国内
の意志統一が難しい状況下にあったため、生命・自由・幸福の追求という考え
方を中心に、むしろ「人間」に重点が置かれている。また、アメリカ合衆国憲
法の精神は独立宜言の革命的な思想とは異なり、英国の影響を受けた「保守主
義」であり、「秩序性」を重んじている。この三つが、今日のアメリカに続い
て来ていると思う。

二、アメリカにおける宗教への認識

アメリカ人の宗教に対する考え方が変わったことは明らかである。しかし、そ
れは宗教に無関心になったということではなく、むしろ、関心は高まっている
と思われる。少し古い統計だが、教会へ行く率は一九二〇年ごろは五〇%であっ
たのに対して、一九六五年では六五%と増えている。また、日本とは違い、有
名な週刊誌や新聞などは、説教者の予定や説教の内容をとり扱っている。収入
は少ないが牧師の社会的地位は高く、アメリカにおいて宗教は重要な位置を占
めている。アメリカは宗教を抜きにして唯経済史観からだけでは理解できない。
我々の日本人的感覚だけでアメリカを見ては誤解が生しる。

三、ピューリタニズムの亡霊

一口にいって、ピューリタニズムはプロテスタントの中でカルビン的なものの
考え方に、非常に影響されてできた信仰であるといえる。このカルビンの考え
方というのは、その予定説に代表され、全ては神によって予定され、決定され
るというものである。つまり、人類始祖アダムの犯した罪から解放され、救わ
れる人間は全て神によって一方的に定められているというもので、自分の善行
によって救われるのではなく、善行ができるのは救われている結果、証拠であ
ると考える。これは日本人の感覚にはピッタリ来ないが、ヨーロッパ人、アメ
リカ人には甚大なる影響を与えた。自分がいいことをしてないと救われていな
いという証拠になる。そのあせりというものは罪から救われているという証拠
を示すために彼らを勤勉に働かせ、欲を節し、罪と戦っていく大きな力となっ
ている。このピューリタニズムが大きく影響した出来事は南北戦争、禁酒法、
第二次大戦等があるが「緋文字」「自鯨」等の小説にも見られる罪に対する厳
しい態度、このピューリタニズムの亡霊からアメリカは抜け出られないでいる。

四、アメリカ文明に対して日本は何を為しえるか

まず、アメリカに対する無知を自覚し、アメリカの宗教性を通して、アメリカ
の心を理解することである。我々が本当にアメリカを理解するとき、彼らに我
々から学ぼうとする気持が起ってくる。

またアメリカは大国であり、日本は小国であるという意識をやめるべきである。
彼らは今の日本を経済的な競争力から見て小国とは思っていない。繊維問題も
その一例であるが、アメリカに与えるものは与え、譲るものは譲らねばならな
いという豊かな気持が必要である。

ここに日本とアメリカとの新しい関係が生み出されるであろう。(一九七六年五月)

補足1: 宗教と政治   松下正寿

 今日は“宗教と政治”というテーマで話すわけですが、欧米、特にアメリカ
で“religion and politics”というとreligionは新興宗教、politicsは選挙
と理解し、彼らはそれを我々とは全く違った意味に受け取る。アメリカでは
“religion and politics”ではなく“church and state”という言い方をする。
 これは単に言葉のニュアンスの違いというよりも、日本とアメリカとの考え方
の実質的相違によるものであり、日本人はそのことをもっと自覚する必要が
ある。自然科学の場合だと普遍的であって、日本人が取り組んでも欧米人が
取り組んでも同じであるが、“宗教と政治”ということになると伝統、ものの考え
方が異り、言葉も違ってくるのである。

 “宗教と政治”“church and state”の違いは、後者の方は組織を考えており
国家という組織と宗教組織(教会)の両方のメンバーである私の内で衝突が
生じる。つまり、組織対組織という考え方をする。それに対して、“宗教と政治”
という場合は心の問題となる。ここに両者のものの考え方の違いがあるの
だと思う。

 さて、私は“宗教と政治”あるいは“Church and State”という問題を研究する
うえで三つの方法をとった。第一は具体的、法律的に研究する方法で、アメリカ
憲法ができてからその後、最高裁で“church and state”の問題がどのように
取り扱われてきたかを調べてみた。その結果を結論的に言うと非常な苦闘の
歴史であったといえる。教会と国家の関係をどう捉えるか見当が付かなくて
非常に苦しんできた歴史であった。 なぜ苦しんだかというと、元来アメリカは
イギリスから移住したピューリタンのつくった国であって、その精神は信教の
自由を求め、新天地においてイエス・キリストの名による理想の社会(組織)を
つくろうというものであった。しかし、それは他宗派の人が移住するに伴って
迫害を生むことになった。ところで、アメリカが独立したのは1976年7月4日だが、
1987年にフランクリン、ジェファーソン、アダムスらによって憲法が制定された。
この憲法のフィロソフィーは独立宣言のそれとも、初めにアメリカに移住した
ピューリタンのイデオロギーとも異なっていた。それはリベラリズムであり理神論
であった。

 理神論というのは、いわば神をwatch makerとして捉える考え方である。つ
まり、非常に精巧な時計をつくれば、あとは時は放っておいてもそれ自体の法
則に従って自動的に動く。それと同じように、神がこの世界を創った後は、こ
の世界はそれ自体の法則で動き、人間は理性に従って行動する。神はそこには
全く干渉することはない。つまり理神論は神の存在は認めるが、神は実質的に
はどこへ行ってしまっており、人間においては信仰より理性を重んじる。それ
で、憲法の中で宗教を唱えることは否定し、国と宗教を別々にする、宗教を私
事にしてしまうのである。こうなると共産主義と同じである。

 このようにアメリカ憲法の理念はリベラリズム、理神論であり、宗教を私事
として捉え、国はそこに介入しない。いわゆる“政教分離”の立場に立ってい
る。ところが、アメリカはもともとは宗教でつくった国であるから、それはこの
憲法の理念とは矛盾しており、しかも、宗教的精神は、憲法をはねのけていく
だけの力を持っていた。しかし、“政教一致”にすると宗教迫害を生む。この
ジレンマの中で最高裁判所は非常に苦しみ、“教会と国家”の問題で苦闘して
きたわけである。 

 ところで、初めは宗教の政治への干渉を唱える保守派が強かったが、その後
リベラル派が強くなってきた。ここ20年くらいの最高裁の判決は例外なく信教の
自由、政教分離が勝っている。公立学校で宗教を教えることは禁止され、宗教
団体のつくっている学校への公共団体からの援助も禁止されている。学校での
お祈りも禁止された。こうして公教育から宗教的なものが抹殺されていった。

 しかし、それと時期を同じくしてモラルが低下するようになったのである。
勤労意欲も低下し、国力が落ちてきた。私は、これは宗教と政治を分離したこと
から生じたもので、それの弊害であると思っている。
それにもかかわらず、現在のアメリカでは信教の自由を唱える意見が圧倒的に
強く、これに対する批判はほとんどない。あっても理神論的根拠で薄弱である。
私はアメリカ人はバカではないかと思う。 第二に研究したのはバルト神学で
ある。バルト神学を一口でいうとプロテスタント神学の一番極端なものということが
できると思う。つまり、神と人との間には絶対的断絶があって、この世のものは
すべて悪であるという考え方である。 この神学は教会は立派なものだが、国家は
非常に汚れたものとみなす。ホッブズは国家をリバイアサン(=巨大な蛇)=魔物と
みたが、バルト神学の国家観はこれと同じで国家は魔物であり、これと戦って
いかなければならないと考える。私が立教の総長時代、WCC(世界教会協議)の
ジュネーブでの会議に参加したとき、ニューメラを初め、バルト神学者が会議を
中心的に運営していたが、参加者のほとんどはベトナム戦争反対で、彼らは
ナチスに対して非常に強い反感を示していた。そして一方では共産主義に対して
は許容的であった。結局、バルト神学は国家と教会との対立を言うときにナチスを
イメージとして国家を描いているのである。 
このようなバルト神学はナチスに対しては役に立つかもしれないが、日本のよ
うな弱々しい国家に対しては有害無益で、むしろこれは禁止すべきであるとい
うのが私の本音である。また、私は神と人との絶対的断絶を唱えるバルト神学
は好きではなく、むしろその点では神と人との一致を唱える仏教の方が好きで
ある。

 最後に私が研究したのは、渡辺善太先生の『教会と政治』という本である。
これは非常によい本で、この本の特色は極めて聖書的、聖書に忠実であるとい
う点にある。しかし、結論をいうとこれは参考にはならなかった。それは渡辺
先生が悪いのではなく、聖書の中には“教会と国家”の問題について何も明確
に書かれていないからである。クリスチャンは聖書に書かれてあることはすべ
てそのまま正しいと考えがちだが、それは間違いで、教会と政治の問題に関す
る内容もあの時代に支配されていると考えるべきである。当時はイスラエルは
ローマの支配下にあった。先生はイエスの“神のものは神へ、カイザルのもの
はカイザルへ”という答弁を根拠に政教分離をいっておられるのだが、何もそ
のように理屈をこねて聖書の言葉を解釈するよりも、当時の状況からそのよう
に答えざるを得なかったと見た方がよい。 パウロが上の権威に従うべきだと
言ったのも同様で、これも一つの保身術である。私は「あれはキリスト教の根
本であると考えるべきではなく、むしろ上の者に逆らうとひどい目にあうから
じっと時を待て」という極めて常識的な考えを述べたものと思う。結局、私は
聖書の中から教会と国家に関する理論を探し出そうとするのは困難で、無駄だ
と思っている。このように、アメリカにおいては政教分離を進めれば進める程、
道義が低下している。バルト神学は少なくとも日本にとっては有害無益である。
そして、旧約聖書は別として、新約聖書から宗教と政治の問題に関する余地を
探そうとするのは困難でこれはやらない方がよい。これが結論であった。

 ところで、アメリカで宗教戦争が止むと道義が落ちてしまうのは何故か。
キリスト教の歴史は殉教の歴史であり、その次に来るのは迫害である。初期には
迫害の中で皆が喜んで死んでいった。そしてそれが今日のキリスト教会の基を
つくった。A.C.400年代にゲルマン民族の侵入によって、ローマ帝国は滅ぶが、
地下に潜っていた教会がそのあとを受け継いだ。トマス・アキィナス以降500~
600年間中世が続いたが、十字軍戦争がきっかけとなって中世の体制が崩れ、
そして宗教改革が生じた。宗教改革の一番大きな原因は教会の否定にあった。
その後カトリックとプロテスタントの間でどちらが正しいのかをめぐって30
年間戦争が続き、結局解決のつかないままに双方がくたびれて戦争を止めた。
それがウェストファリア条約である。その内容は政教を分離するというもので
あった。 つまり、“政教分離”というのは、それが良いからできたのではな
くて戦争しても解決がつかないから、いつか解決するだろうというので、仕方
なくできたものなのである。従って、ホメイニのように万事を宗教で片付ける
のも行き過ぎだが、逆にアメリカのように何でも分離という考え方もばかげて
いる。政教分離は神聖にして犯すべからずものではなくて、どうしようもなく
できたものだからである。 このように西欧の歴史は闘争の歴史で、それを受
け継いだのがアメリカであるから200年間国内で、宗教問題で争ってきたのも
無理はない。そして逆に、その宗教戦争がなくなると同時に道義が落ちてきた
のである。 

 次に日本はどうか 日本に初めて入ってきた宗教は儒教である。
漢字と同時に入ってきた。それは上流階級に受け入れられた。その後538年に
仏教が入ってきたいわれであるが、実際はもっと前に入っていたのではないか
と思う。とにかく、百済の聖明王が日本の欽明天皇に釈迦の仏像とお経を貢納
した。天皇はその仏像が美しいので拝むべきかどうか協議したところ、蘇我稲
目は「外国ではどこでも拝んでいるのだから日本でも拝むべきだ」と主張し、
物部尾輿は「日本の神々が怒るので拝むべきではない」と反対した。天皇は迷っ
た結果、採決を下さず、稲目が仏像を自分の家に持ち込んで氏神にしてしまっ
た。蘇我稲目は韓国系の帰化人で、大和一帯3分の1が親族であり、有力な力
を持っていた。仏教はその後いろいろと経緯を経て、養明天皇(聖徳太子の父)
の時に広まった。 ここで重要なのは仏教が国教として取り入れられたのかと
いうと、そうではないということである。日本にはもともと国教という意識は
ない。国教というのは西欧的な考えである。日本に国教らしきものがあるとす
れば、それは三種の神器である。仏教にしても、神道にしても日本では国教に
はなっていない。

 最後に聖徳太子について述べておきたい。
 太子の一七条憲法は日本書紀から取ってきたものであるが、本当は五憲法
(通蒙憲法)あり、十七条憲法はそのうちの一つである。この事は、日本書紀、
古事記よりも古い旧事本義(くじほんぎ)に載っている。十七条憲法を見ると
儒、仏、神が一つになって実にうまくまとまっている。第二条に厚く三法を敬
え、三法は儒、法、僧であるとなっているが、通もう憲法では十七条のもとに
厚く三宝を敬え、三宝は儒、釈(仏)、神道なりと書いてある。私は通もう憲
法の方が正しくて日本書紀の記述は、後に坊さんが仏教的に持っていきすぎた
のではないかと思う。 このように、十七条憲法の理念は神・仏・儒が混然一
体化しているが、それでは政教分離はどうなっているかというと、これも全く
分かれていなくて一致している。政事はこうしろという原則が書いてあり、そ
の政治原理が宗教になっている。つまり、仏教であるかのごとく、儒教である
かのごとく、神道であるかのごとく皆一つとなり、また、政治であるかのごとく、
宗教であるかのごとく全く分かれていないのである。西洋流の分析的価値観で
見ると、この憲法が憲法ではないということになるが、それは西洋人が分けて
しか物事を見ることができないだけである。重要なのは、分けた方が役に立つ
のか、分けない方が役に立つのかということである。西洋人は国家と教会を分け
なければ説明できないというが、日本人は心の中で神仏儒が皆一つになっている
ので別に分ける必要がない。したがって、宗教と政治を便宜上、分けて考える
のは差し支えないが、それを神聖なものと考えるべきではないと思う。

 この点で靖国神社の問題について私見を述べると、本当の意味での憲法とい
うのは書かれてあるものと解釈との2つからなっている。大東亜戦争は立派な
戦争ではなかったが、一生懸命国のために戦い犠牲になった人達に対して国家
が何もしないというのはおかしいことで、そのような例は世界にはない。国家の
ために犠牲になった者には正式に慰霊の宗教的儀式をやるのが世界の通例で
ある。 日本だけが憲法の解釈にこだわって靖国神社の公式参拝はダメだとい
うのはおかしな考え方である。信仰の自由とか、キリスト教の弾圧とかいうのは
別問題である。一国家が行動する場合、全く宗教的行事を脱いでやるというのは
困難で、西洋的政教分離の考え方自体に無理があるのである。     
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宗 教  と  経 済         
松下正寿
  宗教と経済に関して扱った本はいくらかあるが、代表的な古典的名著は
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である
と思う。私はこの本をアメリカに留学しているときには読まなかったが、帰国して
後, 大塚久雄氏に勧められてドイツ語で読んだ。読んで関心を持ったが、
それよりも大塚氏より聞いた話のほうが印象に残っている。今日はその話を私
の主観を交えて大雑把に話し、そして、最後に日本のことについても触れてみ
たいと思う。ウェーバーは東洋に関してはインドシナについて触れているのみで、
日本のことにはほとんど触れていない。しかも西洋に比べて東洋は停滞した国と
見ている。これは当時の状況の下では仕方がないが、日本が今日のように経済
発展したのであるから、その点について触れておく必要があると思う。

 日本ではウェーバーの名前はよく知られているが、そのわりにはその考えは
理解されておらず、影響力となるとほとんど無かったのではないかと思う。マ
ルクス主義と比較した場合, 特にそうで、日本はマルクス主義の影響を非常に
大きく受けている。ではなぜ、マルクスの影響を受けて、ウェーバーの影響は
受けなかったのだろうか。

 日本人は唯物論者ではないが、宗教についてあまり深く考えない。政治・経
済など具体的な問題は考えても、宗教を持ち出すとバカにする傾向がある。例
えば、文芸復興と宗教改革の取り扱いを見ると、日本では文芸復興は重視して
も宗教改革にはあまり触れない。せいぜい、キリスト教にのみ関係があるとし
か考えない。しかし、欧米では宗教改革を非常に重視する。公平にみて日本人
は宗教に無関心過ぎると思う。宗教・芸術などは上部構造であって、具体的な
ものは政治・経済であると考える傾向がある。従って、マルクス主義は極端で
あると思っても、なるほどと思ってしまいやすい。しかし、ウェーバーの言う
ように、宗教が経済に影響を与えたということになるとなかなか理解できない
のである。

 特に日本人にとってウェーバーが分からないのは、カルヴァン派の一番根本
の考えである予定説が、日本人には絶対に理解できないからである。私は三代
のクリスチャンであるから多少分かるし、少年期から一番怖いのは“永遠の滅
び”であった。しかし、日本人にとって一番怖いのは死である。仏教は本来赦
しの宗教であり(小乗仏教は違う)、善人も悪人も救われるというものである
から、このような考え方を持っている日本人には“永遠の滅び”という観念は
わからない。その怖さが身にしみて感じられない。従って、カルヴァンの予定
説は理解できない。


 ウェーバーの紹介しているカルヴァンの選別思想、予定説というのは「神様
は最初から救われる者と地獄へ行く者とを定めておられる」というものである。
このカルヴァンの予定説が経済の発展に影響を与えた。旧約以降、キリスト教
においては神様に直接尋ねる方法がなく、人はただ一方的に祈るのみである。
ではカルヴァンの予定説では、人が救いに予定されているか否かをどうやって
知ることができるかと言えば、それは行いに現れるというのである。つまり、
救われているとすれば、人をだましたり、殺したり姦淫の罪を犯したりするは
ずがない。品行方正で勤勉で倹約し、その結果としてお金、資本が貯蓄される
はずである。そして、それが神の栄光である。神の栄光が抽象的な心理状態と
してではなく、具体的なお金として現れるというのがカルヴァンの考えである。

 ウェーバーは資本主義をパリアキャピタリズム(賤民資本主義)とアリケー
デキャピタリズム(禁欲的資本主義)の二つに分けている。賤民資本主義は
「金儲けは卑しい悪いことだ」という考えであるが、これは世界の歴史の中に
昔からあったものであり、日本の資本主義も昔から賤民資本主義である。しか
し、これに対してカルヴァンは金儲けが良いことであり、むしろ人間の義務で
あるとしたわけで、これが禁欲的資本主義の発達を促したというのである。と
ころで、ルターの宗教改革の大きな仕事の一つは、ローマ法王を中心とした教
会の権威を崩したところにある。カトリック、あるいは聖公会では神父様が罪
の許しを与える権能を持っているとされるが、ルターはこのようなカトリック
の信念を打ち壊した。教会・神父の権威を崩した訳である。そして、神父の権
能を一般信徒に分け与えた。“万人祭司”である。そして、それと共に、神父
が聖職で他の職業は賎しいものだとされていたそれまでの職業観に代わって、
「職業(calling)とは神様が召してこれをしろと命じたものであり、利己欲
を抑えて、神様の召しに従って神様の栄光を現すためのものである」という職
業神聖主義を唱えた。ルターはこうして、それまで賎しいものとされてきた一
般職業を神聖なものとしたが、ルターはここで滞ったために保守的になり、発
展性を持たなかった。つまり職業の移動がなく、この点ではカトリックと同じ
だった。

 しかし、これに対してカルヴァンの教えでは「自由に職業を選んで、一生懸
命働いて金儲けをし、それによって神の栄光を現せ」いうことになった。各人
は「自分は救いに予定されている」と信じ、一生懸命働き、これが、資本主義
の精神に影響を与えたのである。このカルヴァンの考えは、初め農民に入った。
なぜなら、彼ら(レーマン)は自分で勤労しているからである。この連中がカ
ルヴィニズムの影響で、ものすごい勤労意欲を持って働いた。 結局、宗教の
与えた倫理、「金儲けは悪くなく、立派なものである」という意識が経済活動
を盛んにした。経済活動が本当に盛んになったのはプロテスタントの国だけで
ある。フランスで経済水準が高くなったのはむしろ無神論のお蔭である。カト
リックの国民は一般にのんびりした良さはあるが、ビジネスをするにはカトリッ
クはダメで、怠け者で嘘つきで、倫理観念が薄い。その点、プロテスタントの
国はうるさいが厳格である。次に日本について述べる。


 日本の場合は西欧における程宗教が経済に影響を与えなかった。日本で影響
を与えたのは浄土真宗初期の親鸞の教えである。親鸞の教えの中心は“悪人正
機説”であるが、これが商人の間に広まった。商人は安く買って高く売る。全
く私利私欲がなく勤労精神のみの商人というのは商人ではない。このようにし
て儲けるのが商人とするとそこに通常の悪と似たものがある。禅宗は武士に入っ
たが、武士には私利私欲の必要がなく、その点で善人になるのは当り前である。
ところが、商人はそうはいかない。うまく立ちまわらないと食っていけないか
らである。このような商人が親鸞の教えに飛びついた。俺のような悪人でも救
われるのか、というわけである。 このように、日本では宗教がカルヴィニズ
ムのように金もうけが善であり、それは神の栄光を現すものであるという様に
積極的原動力になったのではなく、金儲けをしても救われる。地獄へは行かな
いという安心感を与えた。これが日本における資本主義発達の大きな前提になっ
ていたことは確かである。

 ところで、これと共に、山本七平氏も言われるように、禅と儒教との結び付
きが、鎌倉時代から日本に目に見えない大きな影響を与えた。つまり、仏を拝
むことによって救われるのではなくて、仕事の中に仏があるという、ややカル
ヴィニズムに似た教えで、これは禅宗と儒教の結び付きによっている。私は禅
と儒教の結び付きが経済の発達という点から見ると一番プラスになると思う。
 例えば、東洋で経済がうまくいっているのは、日本、韓国、中国(台湾)、
シンガポールなど儒教国で、イスラム系統のインドネシア、マレーシア、パキ
スタンはダメで、タイは小乗仏教で儒教の影響がなく、ビルマ、ベトナムは大
乗仏教の堕落で共産化された。大乗仏教でも儒教との結び付きの無い所はだら
しなく、厳しさがない。何をしても救われるという、カトリックと同じである。
ヨーロッパでも共産主義にやられているのは、カトリック、ギリシャ正教の所
である。結局、東洋では儒教がプロテスタンティズムに似た影響を与えた。

 最後に、最近アメリカよりも日本の方が経済がうまくいっているが、ウェー
バーがその点をうまく予言している。ウェーバーはプロテスタンティズムの倫
理は資本主義の精神を作るのに大きな影響を与えたが、そのものにはならなかっ
たと言っている。むしろ、時が経つに従って両者が離れて来ていると言ってい
るのである。そしてその当然の帰結として、今日はアメリカの資本主義は賎民
資本主義そのものになってしまった。プロテスタントの精神は仕事をすること
自体が楽しいのだが、今日では自分の仕事以外は何もしない。勤労意欲も低下
している。このことはウェーバーが80年前に予言した通りである。


 また、欧米の考え方の根本は一口でいうと“分ける哲学”である。政治と経
済、政治と宗教、神と人を分ける。
分けることばかりを考えてきた。それによっ
て科学が発達したのだが、現在の悩みはこの“分ける”という考え方から来て
いるのではないかと思う。それが今のアメリカの問題も生んでいる。その点で
は私は日本のだらしのなさが良いと思う。善悪をはっきりと区別せず、ビジョ
ンの全体意識がある。私はこれがアメリカの悩みを救うのに役に立つのではな
いかと思う。 
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第4回 近代化の再検討
                    学習院大学教授 香山 健一

一、はじめに

 日本の近代化、それは西欧化という形をとったが、今この日本の近代百年を見
直さねばならない歴史的時期にきている。世界的に見ても英国産業革命以来の
二百年の近代文明が転機に来ており、どこの国も近代化の成果と同時にそれが
もっていた限界というものをふまえつつ次の文明の進路を模索しなければなら
ないところへきている。


二、考え方の見直し

 ミュルダールも指摘しているように近代西欧社会を基礎にして作りあげた社会
諸科学の分析用具、概念、理論体系が実際にはかなり特殊な西欧的モデルにも
かかわらず、全世界に普遍的に適用できるという思い違いをしている。

 西欧的アプローチの限界を正確に認識することを通じてアジアの社会、日本の
社会、文化について独自の分析用具、理論体系なりを作っていかねばならない。

 また近代の考え方について「暗黒の中世、光の近代」という中世から近代への
移りかわりは進歩であるという薄っぺらな進歩史観、近代社会の功罪があらゆ
る角度から検討されるに至って、慎重な再検討を要するという考え方が起こっ
てきている。

 これらの考え方の問い直し、目のうつばりを取ることから近代というものの総
合的評価が真に可能となり、この中から次の時代に向かっての文明の展望がで
きてくるのではないだろうか。


三、価値観の見直し

 歴史的変化はどのようなものでも、望ましいこととそうでないこととが常に深
くかかわりあっている。近代化の功罪に関して単純に功と罪とを分離して考え
るべきではない。この二つのものがどういう形で結び合っているかという行動
を理解しないと本当の意味で近代を越えていくことはできない。

 近代化の過程における価値観として豊かさ便利さ、自由、福祉、平和、平等な
どを掲げ、それらを成就する方向は全て善であると考えながら進んできた。こ
れらが様々な副産物を生みつつあり、近代化の代償として近代文明が病理的状
況を呈している。従来の近代西欧における価値観、生活様式について基本的な
見直しをしながら近代の限界を越えていく努力をしなければならない。

四、新しい国家目標の必要性

 トインビーは将来において真の人類文明の統一性があらわれてくることを予言
しているが、西欧的、近代主義的アプローチの持っている限界を越える、ある
いは是正する努力が行なわれ、その中でそれぞれの文化圏の持っている個性が
もう一度しかるべき位置で見直されるような状況になっているのではないかと
思われる。

 日本の社会の中でそういう方向に向かっての試みを様々な分野で着実にとりは
じめる必要がある。今日の日本の混乱の中に、日本が明治維新以来百年間持ち
続けてきた「西欧先進国に追いつけ追い越せ」という国家目標がすでにその限
りにおいては実現されて、その次の国家目標というべきものを日本が見失って
いる。

 日本の経済安全保障が増々危なくなる海原の中でいったいどちらの方向に舵と
りをすベきかということについて、目標を失った状況がこの十年ぐらい深刻に
続いている。この基本的な状況の中で、現実の様々な動きが生起していると考
えてみることも必要であり、そのような動きの中から次の時代への展望の手が
かりが見出されてくるのではないだろうか。(一九七六年六月)


「日本人社会における父性と母性」
      
                  
 河合 隼雄 氏 (京都大学教授・心理療法科)

                     
1.西洋文明を受容した母性社会日本

 今日、日本人は衣服にしろ交通機関にしろ住居、政治経済機構にしろ、生活の
あらゆる分野で西洋の文物・制度を受け容れ、使いこなしているように見える。

 しかし西洋的生き方をしているのは実は、表層だけのことで、その深層へ行く
と、まだ日本流でやっている部分が大きい。しかもその日本流生き方というも
のを西洋と比較して考えてみると、西洋というのは非常に〈父性原理〉が強い
社会なのに対し、日本は〈母性原理〉を相当強く持っている社会なのではない
か。ちなみに、他のアジア諸国は日本よりもはるかに強い母性原理に依って
いる社会のようである。(私は実際フィリピンへ行ってみてそれを検証した。)

 してあまりにも母性原理が強過ぎたために、西洋文明の摂取をうまく行うこ
とができなかった。そういう中で日本は、母性原理を強く残しながら西洋文明
を採り入れることができたという、きわめて不思議な、稀有な社会であると、
私は考えている。

2.父性原理と母性原理の対比

 さて、〈父性原理〉〈母性原理〉という用語を使ったが、これの説明をしてお
こう。 父性原理paternal principleは、まず「切断する」機能をもつ。たと
えば天と地、神と人、親と子、というふうに明確に切断していく機能であり、
したがって〈個人〉というものが分出されて来、この〈個人〉の析出、成長、
ということが目標となる。これに対して母性原理maternal principleは「包含
する」機能。あらゆるものを平等に包みこむ。したがってその包みこんでいる
「場」の平衡状態を目標とすることになる。 

 父性原理では人間に個人差、能力差があることをはっきりと肯定している。し
たがってそこから能力を軸とした組織構成、社会構成というものが導き出され
る。企業の給料も能力給だし、地位・役職も能力にしたがって与えられる(機
能的序列性)。能力乃至資格のある者とない者の区別は厳しい。 母性原理で
は、「場」の中にいるかぎりは絶対平等である。母親にとっては能力のある者
もない者も「みんな良い子」である。かえって、能力とりわけ創造力を持って
いるような者がいると、「場」の平衡状態を崩す。組織構成としては、父性原
理に基づく機能的序列性に対して、たとえば年功序列などの一様序列性となる。

3.父性原理と母性原理の混在による日本社会の混乱

 現在の日本社会の不幸な混迷状況には、一つにはこうした異質の二原理への無
理解による混乱がある。 たとえば戦後教育は、父性原理に基づく西洋の思想
および学問を教えて来た。それゆえ、戦後世代の若者たちは、行動様式は依然
として昔ながらの母性原理であるくせに、頭の中でだけ父性的思想を覚えてい
る。ここから、戦前世代と戦後世代のコミュニケーション・ギャップが生じて
いる。これは日常いたるところで見られる。 

 また、今日,日本人が家を新築する時、西洋式の「個室」本位の構造にする場
合が多いが、父性原理に立つ個室文化のはき違えによって、家人がノイローゼ
になったりするケースも多い。つまり、西洋の住居は、個室本位になっている
とはいえ、ちゃんとliving room(drawing room)というものがあって家族が交
流する場というものが設けられているのだ。日本人が、西洋式の個室本位の住
居を新築するとき、えてしてそれを知らずに個室のみの家をつくってしまい、
家人が孤独感にさいなまされてノイローゼになってしまったなどという話も多
いのである。日本の伝統的な住居は、非言語的コミュニケーション(察し合う)
を尊ぶ母性原理にふさわしく、「ふすまと障子(しょうじ)」の住居である。
父親の咳ばらいがすぐ家中に聞こえて家人がその日の父親の機嫌まで「察する」
ような、そういう住居のしくみであった。

4.日本は『第三の道』切り拓ける

 将来の展望について、あえて私見を述べるとすれば、次のようになる。 

 アメリカなどでは父性原理の行き着くところまで行って、父性原理に対する反
省が起こって母性原理を回復しようという動きが始まっているように私には見
える。一方、母性的なアジアは何とか父性原理を採り入れようという、いわゆ
る“近代化”の努力を必死に続けている。こうした中で、両原理混じり合い、
共に存在している日本社会は、たとえ現在、先にみたような混乱の苦しみがあっ
たとしても、第三の道を切り拓いていく可能性があるではないか。

5.追補-宗教の問題

 追論として、宗教の問題に触れておきたい。父性原理-母性原理の背後には
実は、父性宗教-母性宗教が存在する。父性宗教=キリスト教では、父なる神
が条件のある者だけを選び、選ばれなかった者は地獄に落ちる。また、選ばれ
た者でも、契約を護らなければダメである。このように「選び」をめぐって区
別、切断が行われる。こういうキリスト教の背景を抜きにして現代自然科学の
発生はなかっただろう。科学の分析的思惟は父性原理の切断、区別の機能を前
提にしているのだから。
 母性宗教は来る者は全部救おうという宗教である。(アミダ様、観音様etc.)
以上のような宗教的背景が分らずして、これから国際社会の中では通用しない
だろう。               ( 文責:J. Owaki)
      
1979年7月4日 新丸ビル大会議室 
「新しい文明を語る会」第41回例会より
                               
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河合 隼雄 氏 略 歴:
昭和3年兵庫県生まれ。同27年京都大学卒業、同37~40年チューリッヒ「ユング研究所」に留学、
ユング派精神分析医の資格を取得。現在、京都大学教育学部教授。

主な著書:
「ユング心理学入門」(培風館)「コンプレックス」(岩波書店)「無意識の構造」(中央公論)他,
訳書 ストー「ユング」(岩波書店)ユング「人間と象徴」(河出書房)他

                                                                         

「文化の時代を考える」
 1981年1月29日 於新丸ビル大会議室

     講師 日下 公人 (日本長期信用銀行融資業務部担当役員付
 
                      国際基督教大学講師)
     司会 井関利明(慶応義塾大学教授)

1.文化の時代が来る必要性・十分性・可能性

①文化の時代が来る必要性


一九七三年石油危機以来の不況に対して、ケインズ的有効需要増大の政策をと
るように主張する論者があとを絶たなかった。しかし故高橋亀吉氏はそれに反
対して、次のように分析・提言されたのを私は印象深く覚えている。

 一九三〇年代の不況は、代替製品の開発で後進国の資源価格が下落し、先進
国内の農民および後進国の有効需要が激減したことによってもたらされた。だ
からケインズの、公共投資による有効需要操作政策が不況脱出に有効だったの
である。しかし今回の不況は逆に資源価格の上昇によってもたらされたのであ
るから、もはやケインズ政策は有効ではない。対策としては資源節約しかない
のであって、資源をあまり使わなくても、心が豊かになるような生活方法を発
明せよ。

 このように高橋氏は文化の革新を呼びかけられたのであった。ここに、これ
から文化の時代が来なければならない必要性が明らかにされている。 故大平
首相も、政策ブレーンに対して、次のように言われたことがあった。

国民が補助金をよこせ、〇〇税なくせと言っても、それに応じるだけの財源が
もはや国家にはなくなった。これからはお金がなくても楽しく希望をもって暮
らせるようなしくみを考えていかねば国自体が成り立っていかないのだ、と。

②文化の時代が来る十分性

実際には大衆はすでに文化の時代への変化を先取りし始めている。
郊外の建て売りの売れ行きが落ち、都心のマンション購入者が増えている。赤
坂の人が正月三ヶ日をホテル・ニューオータニで過ごしたりする。このような
現象は、車、ドライブで楽しむのでない、ガソリンを使わない、新しい生活の
楽しみ方が始まっていることを示している。

  文化教室ブームも同様である。子育てを終えて平均余命40年を費やすに足
りる研究テーマを求めて主婦たちが勉強しにくる。物的資源を消費して楽しむ
のでなく、知識・教養を高めることで楽しいという、人々が着実に増えてきて
いる。

③文化の時代が来る可能性


教育汚染・学問公害というべきか、われわれ日本人は明治以来、学校で先進西
洋に対する劣等感を叩きこまれ、劣等感をバネにして努力するという生き方を
教えられてきたために、日本から何か世界に輸出できる文化が生まれるはずが
ないと思い込んでいる。

 しかし、今日われわれが『先進文化』と思い込んでいるものも、はじめは
local cultureであったことを知らなければならない。

 1750年ころ、イギリス人はフランスの方が先進だから、フランス文化の真似
をしていればまちがいはない、と思い込んでいた。 今から50年前、アメリカ
人はアメリカに文化なし、ヨーロッパ人の模倣が一番と思い込んでいた。

 大都市の摩天楼も、放送産業も、自動車をのり回す生活の仕方も、ヨーロッ
パには見られないアメリカだけのもので、こんなものはヨーロッパ人には恥ず
かしくてみせられないと、思っていたわけである。 こういうlocalな文化が、
第二次大戦の戦勝を契機に一躍大国化したことによって、「先進文化」という
ことになり、世界中から真似されるようになったわけである。

 こういう中心文化と呼ばれるものを生み出していくのは、経済発展力であり
人口増加力であり、新しいものにとりくんでいく積極果敢な生活態度であって、
それ以外のものではない。

 私は、すでに現在の日本は、そういう中心文化としての位置をもち始めてき
ていると考えている。日本料理店がニューヨークにでき、アイスクリームに醤
油をかけて食べることがアメリカ女子大生の間で大流行している状況。韓国、
台湾の人々がわんさとやってきて買い物をしていく状況(それはちょうどパリ
やロンドン、ニューヨークで昔起きたことと同じパターンだ)。それらは今や
「日本が国際先導文化になる時代近し」ということを告げている。

2.文化の時代にふさわしい意識の国際化

つまり私は、「自分たちのような生活様式で暮らすことが全人類にとって幸福
なのだ、と考えてその普及に尽くしてやまない」という段階の文明を「世界国
家」と呼んだトインビーに倣っていえば、「日本は世界国家になるべきだ」あ
るいは「すでに世界国家になりつつあるのだから早くその自覚をもて」という
ことを言いたいのだ。

 われわれは、劣等感教育で育てられてきたが、世界のtop groupに入ったと
きの価値観の教育は教わっていない。私は、ちょうど昔の「田舎の地主」のもっ
ていたような価値観を、今の日本が身につけるべきだと考える。昔の田舎の地
主は、圧倒的な富をもって他と競争する必要がなく、ただ村全体が良くなるよ
うに村人に奉仕するだけを考え、しかも謙虚で、村の世話役、まとめ役をやっ
た。

 Pax Americanaの終焉という新しい状況の中で、日本がいつまでも片隅の小
国意識でいると、欧米からもASEAN諸国からも、突き上げはより厳しくなるで
あろう。

3.現代文化の重要性


 最後にビジネスとの接点を考えてみよう。私なりの定義では、文明とは共同生
活の技術であり、文化とは情緒的満足である。文明と文化とを併せて「生活様
式」と呼べよう。文化には古典文化と現代文化の二つがあるが、古典文化も最
初は現代文化であったのだから、identity(自分に浸みついて離れなくなった
もの)と「あそび」とに分けることができる。たくさんの遊びをすることは大
切なことで、その中から少数のいくつかはidentityに転じていくであろう。こ
れはちょうど、現代文化が玉石混淆で、その中の少数の「玉」が古典文化に転
じて生き残っていくのに対応している。

 この点で、漫画という映像メディアは注目されよう。若い人達は皆、漫画で
育ってくる。この新しい情報伝達手段は、幅広い影響をもつと思われる。
 また、大衆のニーズが、物的なものから、資源をあまり使わない生活の楽し
み方、ひいては内面的充実といったところに移っていることなども、漫画と共
に、無視してはビジネスの新しいopportunityが失われるといえるほどの重大
な要因といえよう。   新しい文明を語る会 サマリ-・レポートNo.59


講師紹介:日下 公人(くさか きみんど)
  昭和5年兵庫県生まれ。東大経済学部卒業、
武蔵大講師、住宅・宅地審議会等の委員。
世界の最先端に立った日本経済の新しい針路を大胆に指摘。脱工業・成熟経済
時代を先導。『新文化産業論』で第1回サントリー学芸賞受賞。
著 書:「新文化産業論」(東洋経済)「文化産業新地図」(日本経済新聞)
「デベロッパー」(日本経済新聞)「80年代日本の読み方」(祥伝社) 他

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コメント:
文明的視野,学際的アプローチで
    比較文化論の展開を!

  
ー人間文化研究機構に対する提言ー   
                   大脇準一郎


さる9月25日(2004年)、文部文科省傘下の国際日本文化センター等5つの機関
が統合され新たに人間文化研究機構として発足し、設立記念シンポジュームが
開催された。まずは今回、人間文化というコンセプトで従来の研究機関をくく
られた哲学性に敬意を表したい。

イスラム圏との文明的衝突、世界各地で見られる民族紛争、テロ等、問題解決
の道は人間文化というパラダムでくくることが最良の道ではないかというのが、
小生が米国で比較文化論研究のなかで到達した結論でもあったからである。

新しい人間文化研究機構に願う第1のことは、人間文化というコンセプトをベー
スに世界の宗教・文化を比較することです。

松井孝典先生のおっしゃった普遍と特殊を分別し、特殊はその文化の長所であ
ると同時に裏返せば短所、弱点でもあります。 世界のどの民族、集団も真の
人間性をフルに発揮していないことは、世界の現状を見ても明らかです。人間
性とは何であるのか、そしてその人間性をフルに発揮するにはどうすれば良い
のか、文明史的視点から各国文化を比較することは他のアプローチと共に大い
に役立つと思います。

先日の討議を傍聴して、「自然科学の行き過ぎ、社会科学の怠慢、宗教と文化
が死んでしまった!」という、三十数年前のローマクラブ創設会議での1科学
者の発言を思い起しました。自然科学に携わる松井孝典先生や永山國昭先生は、
自分の専門の研究をきわめれば極めるほど、他の分野が気にかかる。永山先生
は“趣味”と謙遜とおっしゃいましたが、研究者である前に人間である以上、
当然の帰結と思われます。自然科学者の問題提起は社会科学の問題であり、本
質的には人文科学的問題を孕んでいるからです。

しかし人文科学者は自然科学者が危機感を感じている程、深刻に受けていませ
ん。この危機認識のギャップはどこから来るのであろうか?

自然科学者よりも視野を広く持ち得るはずの人文科学者の視野の狭さ、他から
見れば瑣末と思われる字句や学説に固執し、自分の人格と言葉が一体となって
いるため、自己の学説を否定されると自分の全人格を否定されたように錯覚し
て、感情を先立てる現象は、心の狭さを感じさせられます。真理に到達する手
段としての分析であるにもかかわらず、いまや細分化することが学術的評価基
準になっていることに問題があるようです。

また西洋人が暗黙の内に自明としている存在を「個物」と捉える視点は、反面
であり、「関係性」として捉える我々東洋人の発想と異なっています。人類文
明の未曾有の危機を克服するには、早急に人文、社会科学の学問体系を革命し
なくては、”真実“に対して部分としてしか直面することが出来ず、問題解決
の道を見出すことが出来ないでしょう。文明史を人間性とは何かという原点か
ら研究することにより、西洋偏重の現代文明を修正し、調和にとれた真の人類
文明創造の世紀を拓くことを可能にするように思われます。

この点、松井孝典先生が、「人口の増加を定量的に見てもこの地球生態系は
3000年で破滅する、それを避けるには“共同幻想”を作っていけるかどうかに
かかっている」とお聞き来ましたが、小生も3年前から有志とともに未来構想
戦略フォーラムを創設した趣旨と軌を一にするので、わが意を得たりと思いま
した。

最後になりますが、人間文化研究機構がその役割を果たされるには、社会科学
系専門家を入れるか、社会科学系の機関との連携が重要と思われます。

今、世界の問題、多々ありますが、紛争、戦争、テロ・核の脅威が緊急課題と
思います。このために社会科学者は“怠慢”をかなぐり捨てて、自然科学者の
ような真理への飽くなき情熱と真理以外の何者も恐れぬ勇気を持って、世界の
現状を正しく把握し、問題の根源、その解決策を提示してもらいたいと思いま
す。

問題の把握には自然科学的・社会科学的アプローチだけでなく、人文科学的ア
プローチが欠かせないことは言うまでもありません。人間は自然的動物、社会
的動物であるだけでなく、文化的動物でもあるからでしょう。

1976年3月から20年間継続された「新しい文明を語る会」を創設して、本年で
28年を経過しました。この間、レポート300回近くのレポートがありますが
デジタル化し保存していませんので、その一部をボランティアの協力を得て再
度打ち込んだものを付記させていただきます。人間文化研究機構が文明史的意
味深い業績を挙げられますよう期待しています。  2004年10月6日記