下村博文 文部大臣殿  

学校法人 堀越学園の存続のため(もったいないという想いより)
        初代理事長 堀越久良理事長夫妻の功績を残すべし。 

 

1、  群馬県・上州の地で育った人はどなたもご存知の上毛かるたには、学校法人
   堀越学園の位置する周辺を詠んだものがあります。

む;昔を語る多胡の古碑  (日本で最古の石碑;堀越学園のスタートの地及び現在の
     中山キャンパスのある
吉井町にあります。渡来人に建郡を許すことを記念している。)

ひ;白衣観音慈悲の御手 (民間の井上工業の創始者により建立された大きな観音様で
                    堀越学園の八千代
キャンパスから眺める姿は荘厳である。)

へ;平和の使い新島襄 (観音山北面に走る18号線の西方に、明治の近代教育に尽力
                   した新島襄の
生誕の地、安中市に通じます。)

     こ;こころの灯台内村鑑三 (観音山の東側に流れる烏川で産湯に浸かった育った明治の
精神的な指導者・内村鑑三の顕彰碑が17号線沿いにある。生家跡も近くの柳川町にあります。)

  堀越学園の創始者であり、初代理事長である初代堀越久良・島子理事長夫妻は、地域の方のお話に
よると、群馬県の西毛地域にある吉井町で学習塾と算盤塾をもって地域の子ども達の教育を始めたそうです。
この旧多胡郡〔現在は高崎〕吉井町という地域は、奈良朝成立以前の多胡郡設置を語り伝える日本の最古の
石碑が現存している所であり、旧来から開明的で特色ある地域で地元の人たちも地域文化を誇りにし大切に
している所であります。

この吉井町から学習塾を始め、その後幼児の情操教育の大切であると考え幼稚園を設立し伝統ある
堀越幼稚園・子供の国幼稚園を設立しました。高崎保育専門学校では保育園と幼稚園の先生の資格を
与える教育の場として地元に優秀な人材を輩出してまいりました。
その後作られた福祉・介護の専門学校
は現在の創造学園大学ソーシアルワーク学部の基礎となりました。
 

現在の創造学園大学にある芸術学部には音楽課と芸術課がありますが、その前身となっていたのが
高崎芸術短期大学であります。芸短という名で親しまれてきたこの短大の設立においては、80年代の
初頭に「ここに泉あり」という映画で有名になった高崎市の音楽指導者と愛好家が、高崎及び群馬県を
音楽の街にしたいという想いから、最初は前橋市のある学校を基にして音楽大学設立の趣意書を作り
ましたが、堀越学園の理事長夫妻が芸術関係の学校を作る意志がある事を知り、高崎地域の音楽愛好
者の音楽・芸術教育に対する熱意との一致協力のもとで高崎芸術短期大学が設立されました。この短大
が現在の創造学園大学の芸術学部の前身となっております。この短大及び大学は地元の人たちからは、
東京には行けないが、通える範囲で風光明媚な自然環境のもと、西洋の音楽のみなならず和
楽器も
専門家の先生より学べるという特徴をもち、学費的にも廉価で学べる教育環境を提供してまいりました。

, 初代理事長の堀越久良理事長夫妻の功績の一つは、子ども達の豊な感性を磨くという考えを
  ベースにしながら、幼稚園では初期の頃から自然食の給食を提供するといい、現在の食育を幼児教育に
  取り入れるといい、心身両面の育みの大切さを実行すると言った先見性を持たれておられた点であります。

二点目は、豊な自然環境に位置した教育の現場に、日本やアジアの伝統文化を維持保存し芸術性
を育む感性とのふれあいの場を提供
していることが上げられます。例えば、中山キャンパスには水琴亭
という茶室が森の中の日本庭園の中にひっそりと建てられ、近くには国からも認定されている水琴窟もあり、
日本の伝統的な音を楽しむことができます。

さらに、韓国・中国・チベット等のアジアの諸国の古楽器を収集したミュージアムを鑑賞することで東洋人
のアイデンテイは何かを感性的に感じられる鑑賞の場を提供してます。

高崎医療技術福祉専門学校のある下滝キャンパスには、日本の伝統的な古民家建築物が地域の方々の
協力があり敷地内に残されておりますのも初代理事長の文化への関心と理解を示すものであります。

三点目は、堀越理事長夫妻の歩まれた足跡には天佑が働いてきたということであります。それを示す
のが、白衣(びゃくい)観音の見おろす八千代キャンパスには、地下から良質な成分を含有する温泉水が
湧き出ており、地域の人たちは健康に良い水
としてその恩恵に浴しております。さらに、遠方の群馬県
川場村という武尊山(ほたかさん)の麓には、萱の家という温泉を所有しておりますが、全国広しといえども
一つの学園で二つの温泉を持っている事は珍しいことであります。このような
3点を見つめ直すときに、
初代理事長の長年にわたる教育活動には、慈悲の御手が垂れている事を知ることが出来ます。

このように、堀越久良理事長夫妻の功績と伝統がたてられておりましたが、昨年来特に、全国初と
いうことで全国的に有名になった学校法人堀越学園に対する文部科学省主管の諮問委員会による
解散命令がふさわしいとの答申が出るまでに至ってしまった経過には、様々な要因があります。

, 私は、昨年平成2410月より、学校法人堀越学園の事務局長として学園の現場に入職しました。
入職して
2日目に文科省主催による聴聞会にも参加させていただきました。マスコミの報道の嵐の
真っ只中と昨年
1130日の堀越哲二学長の逮捕による家宅捜査の立会いを担当するという騒ぎ
と混乱の中で、このように学園と社会的な動揺をもたらしている根源は何かと、日々の事務的な
処理をしながらも、振り返って考えました。私なりに、今回の堀越学園問題が生じた原因について、
さらに之が提起していることについて、平成
25125日に本訴が決定したという節目の時に
、あらためて文化的視点からの総括を述べさせて頂き、解散命令を出すことが問題解決では
無い事を報告し、再建の途への提起を嘆願書に託すものであります。

 1)  学校法人の運営母体である理事会が、設立意志とは異なり悪意を持った異分子に
   乗っ取られやすい性質をもっているということ。

さる125日の本訴の決定に示されているように、平成241月の2回の理事会は無効であり、
210日に理事長になった大島孝夫氏はすでに執行停止となっております。しかしながら、
昨年
1年間のマスコミ報道は、今回の本訴で正式に無効となった理事長を含む6人の理事
が正等であるという前提で報道し、批判を加えてきました。平成
24年の102日の聴聞会も
正式には大島理事長に対するもので、旧理事は参考という立場での参席であるときいており
ます。群馬県庁内の学事法制課では,
11日の王理事長及び堀越学長の位置保全が確立し、
登記の変更がなされた後も、上部機関の文科省の見解どおり、
9人の理事が存在しているという
前提でありました。

このたびの本訴で決定された内容は、大島孝夫理事長を中心によって構成去れた6人の理事会
体制は、無効であったということです現在多くの学校法人が堀越学園のように経営、資金繰
りには苦労しているところが多くあります。堀越学園は平成
23年の9月頃から賃金も未払い、
その前の提出書類の不備等で経営的に困難な状況に陥っており、詐欺的意図を持った個人
並びにグループに簡単に乗っ取られてしまいました。このことから、日本の学校法人を運営する
理事会体制は、乗っ取られやすい体質を持っているという教訓を引き出すことができます。
少なくとも、昨年平成
241月から10月までは、裁判の本訴決定によれば、幻の理事会
によってマスコミは動かされ、堀越学園は手術台に載せられさらに輸血を受けないで
実験手術を受け続けた
と言えると思います。

 

 2) 戦後の民法の影響、家族制度の規定が曖昧なこともあり、初代創立者から2代目、又は
   一般的に企業や学校法人における相続ということの難しさと大切さが教訓として内在して
   いること。

相続という視点からみると、今回のことの発端を見つめ直すときに、同じようなことが
企業や日本の組織のなかで生じることを暗示しております。

初代理事長の堀越久良・島子夫妻には子供さんがおりませんでしたので、ご母堂で
ある島子さまの甥に当たる小池哲二氏が堀越哲二となり、
2代目として学校法人を相続
したことになっております。相続には法的手続きという面と心情的、精神的な伝統の相続
という両面があります。とくに、社会的責任と一貫性を要求される学校法人の相続は、
法的相続もさることながら精神的威徳を継承することの必要性が大なるものであります。
私が見た範囲と、初代理事長夫妻の相次ぐご逝去に立会い葬儀委員長をされた先生の
ことばや、生前の島子夫人と甥に当たる小池哲二氏との会話を伺った人のことばによると、
二つの面の継承・相続に課題があったと思えます。今回の一連の騒動の発端に、明治
維新後の近代国家となった後の憲法、更に戦後の相続を規定する民法等と照らして、
私達は相続をいかにスムーズにするべきか、堀越学園の教訓を活かすことが肝要である
と考えます。
 

  3) 問題の本質が当事者に関わる人たちが分かりながら、個人のプライバシーを守るという
    視点が入ることで、問題の本質を感じている当事者に近い人たちの情報交流が少なくなり、
    解決へ向けて手間取っていること


     この問題は個人のプライバシーと公共的な社会的責任性というテーマとも関連しますが、
     学校法人の経営責任者には精神的な健全性が問われます。

     2代目の堀越哲二氏は1月28日現在高崎警察署において、起訴され、なおも取り調べ中で
ありますが、拘束期間が長くなっているのをみると、当初の逮捕条項以外にも調べが及んで
いることが想定されます。個人のプライバシー保護と職員の身を守るという雇用される側の
立場から知りえた情報を検討するき機関〔理事会及び評議会〕が有効に機能していない場合は、
問題の解決が遅くなります。例を上げれば、テンカンの人による車の運転事故が起きることで、
免許を控えさすという法律ができておりますが、学校経営においては精神的、行動的一致が
みられることが教育上、道義的に問われます。今回の一連の事件の根っ子である、学校債を
含む負債額の増大には、共通する問題点が潜んでいます。その事を、職員教授が感じていな
がら進言しなかった、出来なかったということです。このような深刻な事態になる事を防ぐ為にも、
個人情報というものと家族の絆というものを共存する必要性を規定する必要があります。

 

4、提言:初代理事長夫妻の功績と伝統を残す為の猶予期間を与えていただくこと

 1)  新理事会に再建の期間を与えること

別紙資料に添付しましたように、堀越久良理事長は足利幕府8代将軍足利義政の弟、政知が、
 堀越公方として静岡県韮山城にて北條早雲の乗っ取りにあい、現在の群馬県前橋市堀越町:
 旧勢多郡大胡町堀越町に隠棲し、後に現在の吉井町に移りました。私松田治男は、大胡町
 堀越の地域住民として、この学園の存続を願い自ら願い入職いたしました。現在の理事会が、
 学長の逮捕という立場で起訴され理事職を喪失することが必然となっている今、新しい経営母体
 が生まれて来ることは必然であります。従って、地域住民の意向を受けた新理事会に再建の
 期間を与えていただきたいと思います。
 

2)  地域住民と教職員は存続を想う気持ちが強い。

「初代理事長夫妻が残された教育環境が消えることはあまりにももったいない」解散した場合
は労働問題を始め地域に与える文化的喪失というマイナス点が大である。教職員と地域住民
の殆どが存続を願っている。
 

     3)大変な逆境の中に教育の原点の種が蒔かれ育っている。 

 現在、3月の卒業生を送り出す為に、単位修得の教育環境とライフラインは守られており、
 逆境の中でも教授と生徒の間には無償で働く教授陣と学生との子弟関係には、親鳥と雛と
 の関係を例えにした「啐啄同時」に通じる、情緒的に繋がれた涙ぐましい関係が醸成されて
 います。このような教育の萌芽を根として、新理事会と協力していく中で、地域や支援者の
 協力が得られるものと信じております。
 

4)  堀越公方が隠棲した地域から生まれている平和の太刀の創始者、柳生新陰流の流祖、
上泉伊勢守の理念の活用により、再生は可能である。戦国乱世より500年の命脈を守る
日本の文化である和解と創造の理念の活用の機会を、堀越学園の再建のために
与えていただきたい。(
別紙参照)
 

      過去の歴史を教訓として、戦国乱世の序奏とも言うべき、乗っとられた堀越公方を匿った過去
の教訓を鑑みて、それを現代において再現し生かすことが肝要であります。このように、戦乱
の草刈場的な地域になっている上州の文化の中には、平和を希求する想いが強く、上州に
芽生え育った平和を創造する理念は、現在に学校法人堀越学園の再建の為に生かされる
べきであります。是非、平和の太刀の理念を活用する機会を与えていただきたく、切にお願い
申し上げます。この事は、初代理事長夫妻の鎮魂の為でもありつつ、全体的に日本の教育再生、
アジアと世界の福祉に貢献し、アジアの平和と安定した文化の創造に繋がります。

      つきましては、群馬県出身の文部科学省・下村博文大臣に於かれまして、再生するための
猶予期間を与えていただく為に、よろしくご配慮の程をお願い申し上げます。

         平成25127

                   群馬県前橋市堀越町堀下自治会長 茂木康永

                                   学校法人創造学園大学事務局長  松田治男

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