第1回「美と人生」のメモ 2011/2/26

大脇氏(地球市民機構役員)、一色氏は美を視点とした角度から話題提供。サロン的な会合は本会
              では初めて。

浦部氏(アートギャラリーオーナー)、優れた芸術作品だけでなく発信基地にしたい。地球規模での
   変動が起こっている。中東での革命。日本でも革命起こしたい。毎年、自殺3万人というのは
   異常。その意味でも日本を元気にするハッピーな新しい波を起こしたい。

一色宏氏(未来創庵・庵主) 「美と人生どうかかわるか」。恐ろしいテーマ間、美にあこがれない人
   はいない。古来より、真・善・美と言われれいる3大理念の中で最も考えにくく、しかも最も
   魅力的であり、これを論ずることは冒険である。泰西の詩人は「美は恐ろしきもののはじめ」
   と言った如く、心の深淵に至ることになる。

  心の深淵に触れる。知性や感性とか、根本に美の存在がある。 美の領域、宇宙飛行士、水の惑星
  である地球を見て異口同音に感嘆した。宇宙美。自然美や女性など、人間自身の美しさ。芸術美、
  さらに人格の美、メカニックなものでも美しい。美学、古代ギリシャの時代から。美とは不思議な
  ことに感動を呼び起こす。精神的な事柄に関係し、人間を高める。本当の美の発見。真に生きるとは。
  日常世界に中で、美との出会い。心を啓発するものとふれる。 美という言葉には、よいとかほめ
  る意味もある。文字は、羊に大。羊が子供を生む時の形。古代中国の時代には、犠牲の獣として、
  神様にささげる意味も。

 羊という字は、いろいろなものに関係している。 善、義、翔、大変な文字に関係している。羊を
 背負っている人=義人。

 世のため、ひとのため。身を挺してもやっていく。それがみんなを震撼させる。犠牲が大きなのが
 「美」。深い意味では宗教の聖にも通じる。

 日本語の美の意味には、うまい、よいこと、良いもの、立派な、善くするという意味も。フランス語
 の美には、完璧な、新しいもの。天使のようなもの。

 まばゆいばかりのもの。魅惑的なもの。大いなるもの。調和のとれたもの。卓越したもの。うっとり
 させるもの。いろんな意味がある。

 晩年の川端康成が、あるテレビの座談会で「これからの日本人に何に期待するか」との質問に、
 「日本人の美意識です」と答えている。

 川端は日本人の伝統的な美を愛し、日本人作家としての特質を追求していった。日本人の独自性を、
 現在も未来も美意識という一点でとらえた。そうした価値観を、継承してほしかったが、自らの命を
 絶った。

 美意識の強い日本人。歴史的にも多くの詩歌、建築、美術、工芸が残され、その美意識が卓越した
 ものであった。西洋の美術が輸入され、日本的美意識の弱点が指摘された時期もあったが、日本の
 伝統には驚くべき美しさや文化があった。 シルクロード、最後の終着点がは正倉院に。高村光太郎、
 「日本は世界の美の溶鉱炉」と言った。故に新たな美を世界に発信していくべき使命が日本にある。 

 尊敬する中井正一氏は言った。「人々は価値あるものとして、真実であること、善良であること、
 美しくきれいであることの3つを好み、尊敬し愛するのではないだろうか。その真実について学ぶ
 のが哲学であると」・・   ドフトエフスキーは「美は世界を救う」という一句を、謎のように
 残した。ソルジェニーツインは、ノーベル賞受賞記念講演の中で、この句を引用し、「これはいった
 いどういう意味でしょうか。長い間、私はそれはただの言葉にすぎないのだと思っていました。
 こんなことは可能なのでしょうか。血なまぐさい人間の歴史の中で、美によってだれかがだれかを
 救ったなどということがかってあったでしょうか。上品ぶっていえば、ありましたと言いたいのです。
 しかし、だれが救われたでしょうか?」 ソルジェニーツインは、芸術とそれが表現する美とは、
 この世俗的なものとは違ったレベルのものと論じている。「美の本質の中には、特別なものがある。
 芸術の特別なものがある。芸術の特殊的なものがある。純粋な芸術作品のもつ確固たるものは、
 絶対的なものであり、それに抵抗しようとする精神をも従えてしまうのです。そして美の枝はすく
 すくと成長して、そのしかるべき場所まで伸びて、真善美の3つの仕事を全部果たすのではないで
 しょうか」 

 そうなればドフトエフスキーが書いたことーー「美は世界を救う」−−は気まぐれな言葉ではなく、
 予言となるのではないか。美に対する関心がない世界は、救われる値打ちはない。アリストテレスは
 「生が尊いわけではない。善き生が尊いのだ」といったが、このことは「アレテー」徳という概念の
 核心であった。

 トロイのヘレネの美の神話。大詩人ホメロスは、イーリアスに面白いエピソードを挿入した。兵士は、
 寒い時に焚き火をし、長い10年の戦争に対し愚痴をこぼした。そのとき城壁の上にヘレネがでて
 きた のを見た兵士は、その瞬間、意識ががらりと変わった。兵士の一人は「この戦争は続けなけれ
 ばならない」と叫んだ。戦争を恨んでいたはずの兵士が、何で変わったのか。トロイのヘレネは美
 そのもののシンボルだった。

 ギリシャは、志の宝庫だった。どんなことがあっても、戦争に勝たないといけない。ギリシャが神話を
 もっていたのは何より偉大だった。トロイまで遠征したギリシャ。美は神聖だった。ヘレネは後に女神
 にされた。

 美のために生きて、美のために滅ぶ。美をめでるギリシャ人。内面の自己自身のために戦った。
 「アレテー」という概念の中核をなすものに、すべてのギリシャ人がなにものにも優先させ達成させ
 ようとした徳の中心があった。ギリシャ人は自分たちをヘレネ人と呼び、その土地をヘラスと呼んで
 いるのは、ヘレネがギリシャ魂のシンボル的な存在であることを示している。

 啓発力、美の力。ミケランジェロが残した手紙に「何人もの法王に仕えた。やむをえず、お金のため、
 解雇しないように願い・・」 など、人間としての弱さや卑屈さを体験している。自殺を思い込んだ
 こともあったが、そうしたどん底の中で、あれだけの作品を残 している。貧乏や苦労の中でピエタを
 彫り、献身のヨセフこそミケランジェロ自身であり、自己の墓標として刻んだ。そして絶望を超克し、
 永遠なる美の力を解放した。

 米国の「LIFE」誌がこの千年間で最も重要な業績を残した世界の人物、100人の中に、日本人では
 葛飾北斎一人が選ばれた、 貧乏と引越しが人生の伴侶のような生き方で、死ぬ間際までつねに新た
 な画法を探り、多彩な名作を残した。ピカソは「北斎のごとく画狂人でありたい」と言った。

 バッハがなくなった時、その埋葬にあたって、いかなる音楽が演奏されたか知られていない。
 むしろ、経費節約のため省略されたのではないかと言われている。

 その10年後、未亡人アンナ・マグダレーナは生活保護受給者として貧窮のうちに亡くなっている。
 さらに半世紀後にはバッハ自身の墓石さえ分からなくなっていた。 1829年、まだ20歳の
 フェーリクス・メンデルスゾーンは、ベルリンのジングアカデミーを率いて、「マタイ受難曲」を
 演奏した。それはバッハの死後、初めてのことであった。奇しくも初演奏は、100年目に当たっ
 ていた。この出来事は、ベルリンの精神界全体を熱狂に巻きこんだ。聴取の中には、哲学者シュライ
 エルマッハやヘーゲル、歴史家ドロイゼンなど、当代の代表者たちの顔ぶれが並んでいた。  

 バッハの生涯を通じて印象的なのは、その心を打つ謙遜さと、自己の与えられた使命についての確信
 ーー落ち着いた誇り高さとの結びつきであろう。 バッハ、自分の才能が神から与えられたことを自
 覚し、同時代の人々に奉仕することをのみ求め、「空しい誇りを抱くこともなく、ほとんど意識する
 ことさえなかった」といわれている。 バッハは幼くして両親を相次いで失い、子どもの頃から甘や
 かされた生活とは無縁だった。 無理解な兄の下に引き取られ、月明かりの光で音楽好きの少年は、
 禁止されていた写譜に努め、後年の眼病の原因を作り出した。 バッハがその職務からえた給与は、
 けっして余裕のあるものではなかった。計算し、配分し、節約する問い家計のやりくりが、その生涯
 にわたるあり方だった。彼は2度結婚し、20人の子供のうち11人まで自分で墓まで運び、その手
 で葬った。生き残った息子たちのうち、2人の行状は彼の晩年の悩みの種になった。

 生涯の最後の時期に、バッハは失明し、娘婿のアルトニコルの手を借りて、死を迎える最後の
 コラール(讃美歌)の作曲のため、口述しなかればならなった。 こうした人生の苦悩にもバッハは、
 じっと耐え通して生きた。小市民的な日常生活の狭さ、貧しい生活の外的条件も、彼の芸術創造を
 圧倒し去ることはなかった。それはいかにして可能だったのか。 

 それは深い感動に裏打ちされた信仰からあふれる生命愛そのものだった。「彼にとって音楽は礼拝
 である。バッハの芸術精神と人格は、彼の敬虔さを基底としている。・・芸術は彼にとって宗教で
 あった」とシュバイツアーはいった。 「私は勤勉でなければなりませんでした。しかし、私と
 同じくらい勤勉であれば、誰でも私と同じくらいにはなれるでしょう」と、バッハ自ら語っている。
 人生の暗い谷間にあっても、この巨匠の天分から生み出されたものは、時間を越え、国を越えて、
 いつまでも新しく、純粋で力強い無尽蔵に豊かなせい生命のメロディーを奏でている。

 モーツアルトもしばしば借金の申し込みをするような生活だった。 精神的な喜び、美と悲しみは、
 相伴う。芸術の力によって、極 限状態にありながら、「人生は美しかったし、一生はなんと幸先良く
 咲いたことでしょう」と言って、あれだけの作品を残した。

 バイロン、「逆境は真実に至る第一の径である」
 孟子、「大変な任務を担った人は、大変な試練に」
 西郷隆盛、「貧困は偉人をつくり、功業は難中に生まれる」
 レオナルド・ダビンチ、「大いなる苦悩なくしては如何なる完成させる能力もありえない。
             純金は火によって精錬されるのだ」

 好きな画家、田中一村、明治41年に誕生。幼少から絵の才能。中学校から特待生扱い。
 水墨画、絵が売れた。参議院副議長を会長とする支援団体もできた。

 芸大の同期に(美術大学)東山魁。しかし、田中は3ヶ月で退学。絵とは人の趣味にあわせて
 書くものではない。それはただの迎合だ。売り絵に感動はない。絵を描くことは手先の仕事では
 ない。絵は信念による、心の仕事。 奄美大島を写生旅行。トタン屋根の借家。画材を購入する
 金が必要に。日雇い労働、450円の日給に安いのが気に入ったという。貧乏でなければ、良い
 絵はかけないという哲学あり。赤貧潔しを貫いた、命を削る求道的な生き方をする。 
 その田中は同期の東山魁の絵を批評し、「魁の絵は波の音がしない」と...。詩聖タゴールは
 言った。「真理は限界を愛す。そこでこそ美に出会う。」..

 多摩の少年院に講師として呼ばれたことがある。犯罪を犯す少年たちは、恵まれた子供が多い。
 窃盗や強姦などの犯罪を犯して少年院に入れられた子どもたちは、最初は泣く。その泣いている
 少年を看守が抱きしめる。そして父が来ると、落ち着く。 希望をもち、勇気をもって戦えるため
 に、マ−クトゥエインの話をした。彼は作家になる前、学校行くのは嫌いで、専らミシシッピで
 遊んだ。意識が変わるのは、父が死去してからだ。母は、彼を印刷会社の丁稚奉公に押し出した。
 食費だけは手当てしてくれるが、給料はなかった。 2年目、町を歩いていて飛んできた破られた
 本の1ページを読んで幽閉されたジャンヌダルクに関心を持つ。なぜジャンヌ・ダルクは立ち上がり、
 非業の最期を遂げなくてはならなかったのか。それが知りたいがてめに、自ら図書館に通い、学び、
 人生が変わった。そして作家になって「トム・ソーヤの冒険」が誕生した。

 聞(求道・勉学の第一歩)、信(信用、信頼、知恵の種)、戒(律するものがないと悪道に入る)、
 定(不動心、信念、忍耐力)、 進(進歩向上)、捨(執着を捨て、利他の精神)、懺(ざんげ、
 反省の自我、新しい決意、希望)、これが7つの宝であり、誰にもある。

 こうしたことを少年院で話した。すると一人の少年から手紙をいただいた。

 その手紙には「人間は、いつ運命が変わるか分からないと先生は言っていましたが、その言葉を
 聞き、なんだか勇気が出てきました。たった1つの出来事で人生がよくなった人が一杯いることを
 聞いて、僕も、その1人になれるのではないかと、夢を持ち、又は希望を持ちました。しかし、
 そのためには、僕自身が人のため社会のために生きていかなければいけないと思いました。
 そうすれば、絶対最後には自分に戻ってくることを信じています。 今は少年院生活ですが、
 社会に戻ったら、家族のため人のため社会のために思いやりを持って生きていこうと思います。
 人生は、どうなるか分からないことは、すごく不安なことですが、いつでも前向きに、強く
 生きて行きます。今日、一色先生から学んだ七宝をいつまでも心に残して、僕の宝物にします。
 今日は、本当に勇気と希望を僕に下さり嬉しく思います。有りがとうございました」と書いて
 あり、びっくりした思い出がある。 出所後、社長になった人も、「目覚めてスタートする
 ことができ、自分の人生を変えた母校だ」といって少年院を再訪した人もいたが、胸を打たれた。

 ドフトエフスキーは「美しい神聖な思い出こそ、最良の教育である」と言いエミールマールは
 「美はいたるところにある。しかし美は、美を愛する心にしか姿を見せないのだ」と言った。
 ゲーテ「美は幸福を約束するものにほかならない。幸福は美をともなう」
 ヘレンケラー「いちばんすばらしく、美しいものは目で見ることもさわることもできません。
           それは心で感じるしかないのです」
 オスカー・ワイルド「美しくあるためには、最後は悲劇でなければならない」
 ロダン「情熱をもって君たちの人生を愛せよ。これより美しい事はない」
    「人生を美しくすることは、人々に目標を与えることになる」
  人間が死んで残せるもの。行の放つ光のみである。

 古来、東洋では美観のあるとこに正しい世界があるといわれ、美の教えや芸術は生きる力を
 与える。美は芸術の原理であり、最高の目的。美は平和..., 美は無限なるもの....