市民国連フォーラム 第Ⅲ「国連と平和構築」

  

報告者:長谷川ゼミ法政大学修士1年 池田麻美   長谷川ゼミURLから編集

主催:地球市民機構/共催:未来構想戦略フォーラム

場所:早稲田大学14号館  時: 2008年12月23日

題: 長谷川祐弘教授・「国連と平和構築、理論と実践」

 司会:伊勢桃代氏

国連の平和構築は1992年のガリ事務総長が平和への課題を提唱した。そこでは、冷戦後の
対応が考えられていた。しかし、その頃には平和維持活動に関しては、段階的なアプローチ
が考えられていた。現在では、一口に平和維持と言っても、平和に関する包括的アプローチ
が必要となっている。紛争の原因、紛争の予防の可能性を探る必要がある。市民の役割、
平和構築に必要とされる人材等を今回の講演で長谷川教授から示唆を得たい。紛争後の復興
について、現実、計画、企画等を今回のテーマとして話して頂きたい。


 長谷川祐弘法政大学教授 (元,国連事務総長特別代表)

「国連と平和構築、理論と実践」


国連の平和構築の理論と政策について本日は講演を行いたい。特に、実際に現場でどのように
展開されて、どのように問題が出てきているかを包括的に話したいと思う。


➢平和構築理論の進展

1992年の当時のガリ事務総長の「平和への課題」という話から始めたいと思う。国連憲章では
国際平和の維持に焦点を当てている。国内紛争についての予防、構築は、国連憲章には触れられて
いなかった。60年以上、国連は平和維持活動に携わったが、1990年代の冷戦の終結とソ連の崩壊を
境として、平和維持活動の活動が拡大し、予算も増えた。現在では、世界に20の平和維持活動があり、
その中の多くは平和構築を行っている。1990年代前までは段階的な平和維持が考えられていた。
すなわち、国連憲章第六章の下において、紛争予防に専心していた。2008年度5月にフィンランド
元大統領であり、2008年度10月にノーベル平和賞を受賞したアハティサーリ氏が、法政大学を訪問
した。彼は予防外交を行い、また現時点でも行っている。1990年代までは、二国間の間に入って、
紛争がそれ以上悪化しないよう中立的立場で介入をするというのが平和維持活動のミッションで
あった。


それ以降の平和維持活動は、介入する権利とともに少しずつ概念が変化してくる。私は、フランスの
現外務大臣であり、Medicine Sans Frontierの創設者であるBernard Kouchnerとルワンダの飛行機で
共になった。彼は人々が苦しんでいるときには、その当事国に介入して、そういう人々を救うべきだ
という考えを持っている。その考えに基づき、1993年にDroit de intervention(介入する権利)が
提唱され、またUNDPでは1994年に「人間の安全保障」が提唱された。これを受ける形で、日本も
「人間の安全保障」を外交の柱の一つとした。2001年にカナダが主になって、「保護する責任」(R2P)
という概念が生まれてきた。人道的介入と「保護する責任(R2P)」の理論的な違いは、人道のための
介入と保護する責任は地球社会を見る観点がことなっている点にあると言えよう。人道介入はウェスト
ファリア体制のもとに主権ある国家が共存していく体制のもと、一カ国が介入していくという、国家間
の問題である。「保護する責任(R2P)」はGlobal Governanceの一つの手段として見なされている。
「保護する責任(R2P)」の下において介入するのは、一カ国の意思、イデオロギーの影響を受けるべき
ではない。そのような観点からみて、アナン国連事務総長もイラクに入る場合、国際社会としてとる
手段として無理があった。


平和構築が重要になったのはなぜか。冷戦後の社会において、地域紛争が増えてきている。国連の平和
構築政策。そこには平和維持活動の活動内容の進展があった。ブラヒミ氏が委員会として平和維持活動を
統合的に行うかという提案を行った。平和活動は予防活動、平和維持、そして平和の執行に当時は段階的に
考えられていた。(peace implementation, peace execution, peace keeping)平和構築の任務について
以下延べていきたい。
私は1993年にカンボジアにおいて、UNTACで国連ボランティアから雇った。当地においてそれなりに政府が
樹立される段階で国連は手を引いた。1993年では平和の定義とは、紛争のない状態であるつまり、Absence
of violence であると定義されていた。それに対して、東ティモールで、アナン国連事務総長の特別代表と
して務めた10年間では平和の定義が変わってきている。その意味は武力闘争のない場合ではなく、持続可能
で、国内の利益などが対立する場合、それを平和的に解決していく社会作りを目指していくという定義へと
変容してきていると言える。2002年に東ティモールに行ったときには、アメリカのみならず、国連でも
自由民主主義の必要性が認められた。紛争の根本原因を取り除き、自由民主主義を確立する。1990年代の
終わりくらいに、D.Horowizは彼の著書、“Ethnicity in conflict”で民族間紛争にたいする対処について
言及している。Paul Collierは世銀側の立場に立って、世の中の富の分配が間違っていると述べている。
M.Doyle、Sambanisは権力闘争があると述べている。彼らはそれぞれの分野で、それぞれの紛争の原因を
挙げている。根本原因として以下の8つがあげられる。


➢紛争の根本原因要素

1. 権力と武力の集中把握。

2. 権力者による治安機関の私物化して政治的意図として使う。

3. 法の統治Rule of lawの基盤が貧弱。

4. 公共機関、特に行政府、政府機関が非常に不透明で腐敗が多い。

5. 不平等の社会。富の分配。(貧困そのものが必ずしも紛争には繋がらない。)

6. 雇用の機会。特に若者の雇用。

7. 部族、民族、地域間の対立。

8.Mind set(硬直した指向方法)。
(e.g.ジンバブエのムガベ大統領。指導者の多くは紛争の多くは人民をmanipulateすること
 ができる。これは、日本にいてはなかなかわからない。Edward Newman、Stephan Stedmanの
 著書“Spoilers problem”でも述べられている:Today’s statesmen is tomorrow’s spoiler.)



➢根本的要因に対していかにして対処していくべきか。


1. 過去の清算。(南アフリカ:真実和解委員会。カンボジア:ECCC、東ティモール)

2. 元兵士の武装解除(日本は、アフガニスタンでDDRに対処している。その後、
 元軍人がどの程度、仕事を得られるかが非常に大切である。Rの部分、社会復帰の
 大切さ。)

3. 難民の帰還もあるが、IDPsの問題もある。国内において、復帰できるかが重用。

4. Paul Collierも行っているがインフラの復興整備も大切である。(日本の国内で
 道路は要らないといっても、こういう国では公共事業は大切である。欧州では
 Governanceと人権に力ここ10年力をいれてきたが、バランスを持つ必要がある。)

5. 汚職のない政府。(私は東ティモール大統領Ramos Holtaの特別顧問をしている。
 今年の2月に彼は死に至るほどの銃撃を受けた。グスマン氏には民主主義も大切だか、
 政府が国民に受け入れられて、存続していく必要が大切であると助言している。
 汚職のない政府。国民に雇用を与えられる政府。今まで、暴動の起こっていた面を
 考えると必要である。)

6. 平和構築をするにあったって、一番大切なのは、Security Sector Reformである。
 (SSRをいかにおこなっていくかが大切。警察官の要請。警察と軍隊の役目を明確に分ける
 必要がある。日本ではあたりまえだが、Community Police Forceをつくる必要がある。
 私は1994で、UNOSOM2で政策企画部長としてソマリアに行った。アメリカが挫折する前の
 ことである。当地では2000万ドル位のプロジェクトを作った。Militiaや元兵士を、警察官
 として養成した。その規模は13000人位であった。しかし、アメリカ、国連から撤退して、
 この計画はつぶれてしまった。ルワンダでは警察隊を要請した。
 その時は、国連の安保理がそれに対して対処できなかった。その当時は、私はUNDPでResident
 Coordinatorの立場で警官を養成した。SSRにおいては、警察は国の政府に反抗する人を投獄
 すると いうメンタリティーを変えていく必要があった。)

7. Rule of Lawの重要性。(自由民主主義を作るために、国連は今でも行っている。
 それが現地でどのように作用するかについて。私達の民主主義的社会を運営できるような
 Governance、選挙、行政府、立法府、司法を作る。これには時間がかかる。日本も明治
 時代では選挙があるたびに暴動が起こって死者がでた。日本でもこのような過程を経ている。
 開発途上国でも一年や二年では達成できない。
 国による。ソマリアは無理。民主主義を導入するにあたって、Rule of lawでは憲法を
 もとにする。人間の権力欲は絶対になくならない。指導者、権力者になりたいと思う人が
 いる。獲得、維持するために、Rule by lawをしてしまう。)


私は国際選挙監視団の団長として任命され、明日2008年12月24日より2009年1月1日まで
バングラディシュに行ってくる。バングラディシュでは2008年12月29日に選挙が行われる。
当地では2年程、暫定政権が続いている。軍人と会い話す機会があったが、選挙すると二人の
ハシーナとアメッドの二人が候補としてでてきて、二人とも汚職がはじまってしまうと言う。
しかし、軍隊も介入したくないと彼らは言う。
なぜなら、国連にバングラディシュは平和維持軍を送っているからである。そのために
国際的な評判もあるのであまり介入したくない。M.Unus氏も政治家になろうと思ったが、
辞めた。いかにして民主主義を根強くするか、平和構築を行っている者として、必ずしも
簡単に言えるものではない。


➢問題点をいくつか挙げてみたい。

1. 主権国家への内政干渉への懸念が上げられる。ウェストファリア体制のパラダイムでは
  限度がある。 国連平和維持活動の拡大つまりMission Creepをいかにして防ぐか。
(ISAF多国籍軍が同じ問題に直面している。安保理のお墨付きを得て、NATOがアフガニス
 タンに入っていった。アフガニスタンに兵隊が多くいるが、一体なにをしにいったのか。
 2001年のテロの攻撃の後、アルカイダ国際テロリストを捕まえるという理由があった。
 新しい民主主義にもとづいた政権を作った。しかし、その過程において、Mission Creep
  が起こっている。その過程で更に新しい任務が積みあがってきていることで、活動が
 難しくなっていることが挙げられる。Force commanderによると、今の段階ではアフガ
 ニスタンで民主主義的国家(西洋的な概念に基づいては軍隊では出来ない。)

2. 国連は紛争の当事者となる危険性がある。これは避ける必要がある。

3. Capstone Doctorinでは統合的integrate mission を掲げている。軍事的な治安整備。

 当時能力Institution building 人道部門を同時に行い、なおかつ、coordinationが必要で
 ある。ダルフールにいる人によれば、coordination IOM UNHCRの活動をお互いにoverlapし
 ない必要性がある。Structure面では国連を重要視している。2006年に“ Delivering as one”
  を出している。国連機関がstructureとして行う必要がある。国連もone voiceとして行う。
 例えば、児童援助を行う国際機関は自分達のmandateをもっている。ICRCの理念をもっている。
 また、MSFでは自分達の理念を持っている。具体的な例として、ルワンダでのKIBEHO事件を
 話したいと思う。Kibehoには、20万人の国内避難民がいた。彼達は、フツ族である。
 P. Kagame政権が入ってきて、ルワンダ南部の丘にいた。そこで、フランス軍が一時的に
 介入してsafe zoneを作った。はじめの3ヶ月間はフランス軍が擁護していた。食料、水は
 国連が擁護した。彼達はそれに専心する。なぜなら、彼達は一つの理念を持っているから
 である。人道援助機関は、国際法、国際人道法の理念に基づいて、その人たちの意思に
 反してその人達を強制移動することは出来ない。ルワンダはNational security とHuman
 security の概念がぶつかり、結果的には力の強い方が勝ってしまった。一つ予期して
 いなかったこととして、IDPs帰還の日の前に雨が降り、丘にバス、トラックがいけなかった。
 家畜のようにして抑えられた場合、子どもが動き出した。それに対し、ツチ族の親が殺
 されてしまった子ども兵士が銃をうってしまった。国連機関、国際機関はお互いの持って
 いる価値観、理念をどのようにcoordinateしていくべきかが大切である。


➢日本の平和構築への貢献

 最後に日本がどのように貢献していくか話したいと思う。東ティモールには1000人程の
 警察官がいた。しかし、force commanderによると寄せ集めなので、彼らは統合されて
 いない。
 事実軍隊は国連の平和維持ではpresenceを示すだけで、平和の執行ができない。
 マイケル・ドイルの指摘するところである。2002年に東ティモールで暴動が起
 こった。Troop levelも 減らしていたが、日本の自衛隊は10分位の地点に駐屯
 しており、690人位がいた。
 国連、政府側も日本の自衛隊が日本の憲法に従って、そのような事態に対処できない
 ことを知っていた。それゆえに、ポルトガル部隊を暴動鎮圧のために呼んだ。
 ポルトガル部隊が到着するまでに約3時間かかった。この間に暴徒が広がってしった。
 しかし、ポルトガル兵が来て、市内を回るのみで、市内は静かになった。その現地の
 状況は、その各々の現地の者が判断するべきである。すべてがアフガニスタンのような
 状況ではない。ワシントン、東京、パリからの指令では、現地の状況把握能力が全く違う。
 究極的には国連が指導した軍隊は持つべきであり、国内において、武器が氾濫しなくなる
 べきである。

 また、国のノウハウを国連の平和構築活動を伝授することも日本の出来ることの一つで
 ある。Paul Collierの述べているように経済復興は大切。そして、公共事業も大切である。
 日本のODAはこれまで、減少してしまったが、国際社会の一員としてそれ相応の負担を
 するべきである。

 日本は国をよく統治している。国際社会から、市民の人達に対して思いやりのある政治を
 行うべきである。

                            以上。

質問1 Volunteerの平和構築への可能性

長谷川教授コメント: 学生に国家の指導者に会ってもらう。学生に基本的な質問をしてもらう。
    私たちが見守っているということを示す良い機会。Mind setを変えていく良い機会である
    からである。彼らは、国内闘争、紛争は、悪いことをしても外では分かっていないという
    錯覚を起こしているけれども、学生やVolunteerの存在によって、その国を外部の者が
    見守っている人がいることを自覚させる。

質問2 
北東アジア,東洋平和論,世界の平和を作るため,アジアのモデルを創ることについて。

長谷川教授コメント: 国家としてのidentity世界的に台頭しているのが、部族、民族のidentityは
    Mullerによればethnic nationalism は消えないであろう。コソボ、チベット、をみると、
    ethnicityはidentityをつくりあげている。心構え、真実に忠実であるべきである。
    その真実がなにであるか。自分で独占的に言えることはないという謙虚さがあるべきであると
    考える。オランダ人、インドネシアにいて、日本軍につかまって、刑務所に入れられたという
    事実がある。彼女達の話を聞く機会があった。それによれば、思っていた程、暴行された度合いは
    それほどでなかった。しかし、国の総理大臣の高官は、それらの事実があったとか、なかったとか
    言うべきではなく、真実を知りたいという態度を保つべきである。私の案として、1930年代と
    1940年代で、東アジアで、何が起こったか、というのをマンデラ氏などに来てもらうというのは
    どうであろうか。南京大虐殺、毛沢東、ロシア、原爆、慰安婦の問題。これらを包括的に観た場合、
    人間は非常に悪いことをする。なかったと否定するのではなく、あくまで真理を追及したいという
    謙虚な態度を保つべきである。

司会(伊勢)

日本は何ができるか。国内のあり方を考える時が必要である。日本人が日本のことを再度考直す必要がある。
                                    [以上]
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第3回市民国連3周年記念シンポジューム
第3分科会【国連と平和構築】

早稲田大学14号館406教室

荒川章子メモ/東大仏文卒、作家、当日の参加者)
       
発題者:長谷川祐弘 法政大学教授
(元,国連事務総長特別代表)
「国連と平和構築:理論と実践」

      
 講演要旨
 
 1、
世界平和構築に関する4つの理論
 2、国連平和活動の4つの形態
 3、平和維持活動:目的と役割,原則,活動
 4、平和構築活動
  平和構築理論の進展, 平和構築活動の目的
  紛争の根本原因要素, 平和構築の目的・意義
   平和構築の現場, 平和構築活動の例
  民主主義の育成, 平和構築支援活動の効果・効率的実践への課題
 5、日本の貢献の可能性

 

国連が現実にどのように展開していて、問題は何か、について話します。
UN憲章では国内紛争の予防と平和維持には触れられていない。UNは60年以上平和維持活動を
したが、ソ連の崩壊後UNの活動は変わった。活動が拡大し、予算が増えた。今世界で20の
平和維持活動がある。1990年まではシークエンシャルな動きを見て紛争予防に専心していた。
フィンランド大統領アーティシャリが講演し、平和のための予防外交をしている。90年までは、
ブルーヘルメットのUN平は二国間で活動するだけだった。90年からは国内紛争が多くなった。
国内で人々が悲惨な状態になるのを救うべきだということで、93年に介入の権利を示し、
04年に人間の安全保障を打ち上げた。
01年にグローバルガバナンスの手段として「保護する責任」の概念が起こった。私は人道の
ための介入と保護する責任は地球社会を見る観点が違うと思う。国が他国に人道的であれ、
他の意図であれ介入すると、国家間の問題としてとりあげられる。一国の意志やイデオロギーに
影響を受けるべきではない。
 冷戦後、世界では地域紛争が増えた。UNの平和構築政策は5段階の進展がある。ガリ事務総長の
課題を踏まえ、ブラヒミ委員会がいかに平和活動を統合的にするかである。2として軍の介入
 3、紛争が再発しないための平和社会を作る平和維持活動カンボジアでUNの500人の平和監視員
がいる。93年までは平和の概念(暴力の不在)に基づいてUNの活動は行われていた。
しかし、東ティモールにUN代表として行った時、平和の定義が異なっていた。「平和で持続できる
社会はどのような社会か?」それは、自由民主主義であると結論づけた。単に貧しいだけではなく、
富の不平等から紛争が起こる。紛争の要因は複雑である。それは8つある。

 
 
1、権力と武力の集中把握
 2、権力者が治安機関(警察・軍隊)を私物化し、政治的意図で使うこと
 3、法の統治の基盤が貧しい
 4、行政府に透明性がなく、腐敗が多い
 5、富の不平等な社会
 6、若者の雇用が皆無
 7、部族民族地域間対立
 8、UNが作った政策の欠けている点



日本では権力闘争はルールに従って暴力以外の方法で行われているが、それはリーダーが
基本的ルールを知っているから。私はソマリアやルワンダに行ったが、リーダーの重要性を
感じる。

1、カンボジアと東ティモールは過去の清算を今始めた
2 DDRの社会復帰。何人軍人を武装解除したか
  元軍人が仕事をどの程度得ているか、IDP(国内避難民)が仕事に復帰できることが大事
  ポール・コリエも言っているようにインフラや復興事業が大切だ。日本の援助は有益だ。

今まではガバナンスと人権に力を入れていたが、低開発国ではインフラ整備が大切だ。
ラモスフォルダー大統領の特別顧問をしているが、前政権は腐敗が多かった。

グスマンに言っているが、民主主義は大事だが、政府が今後受け入れられるには汚職がなく、
雇用を与えられる政府にしなさいとアドヴァイスしている。平和構築に当たって、
SSR(SECURITY SECTOR REFORM)をどのように行うかが大事だ。警察と軍の役目を分けて
国民から信頼されるようにすることが大切だ。ソマリアの政策企画部長として行った
(アメリカが挫折する前)が、2000万ドルで2年間、1万3千人の兵を警察官として養成した。
ルワンダでは警察隊を養成したが、寄せ集めの若者たちが警官とは政府に反抗する人を捕まえて
投獄するという概念を持っているので、それを変えることが大事だ。

 自由民主主義体制の行政府、立法府を作ろうとするが、途上国がたとえUNの支援があったと
しても、1,2年で民主主義に移行するのはむずかしい。10年はかかる。人の権力欲は無くなら
ないから、民主主義のルールを自らが権力を得る為に使おうとする。RULEOF LAWとRULE  BY 
LAWの違いだ。明日から選挙監視団でバングラディシュへ行く。今、暫定政権が頑張っているが、
二人の女党首のどちらがなっても汚職が蔓延するだろうが、モラルが下がるので軍は介入したく
ないと言う。いかにして現地に民主主義を根付かせるかは簡単ではない。

主権国家の内政干渉の危険があり、今のパラダイムでは限界がある。アフガンのUNの多国籍軍が今
直面しているのは、入る時の理由は同時多発テロのアルカイダを捕まえ、タリバン政権を崩壊させ
新政権を作ることだったが、ミッションクリークが起きて活動が難しくなっている。軍隊の人は
「アフガンでは軍隊によって西洋的概念による民主主義国家を作ることは出来ない」と言っている。
UNが紛争の当事者になる危険がある。統合的キャップストーンドクトリンを掲げて軍事的治安整備と
統治能力、人道援助を一緒になすべきだ。現地に来たばかりの日本人学生に何が一番大事だと思うか
と聞いたところ「コーディネーションが大事だ。」と答えたが、一年たつと「それは難しい」と
言っている。
コーディネイトするには、互いの足を踏んでは駄目だ。幾つかあるUNの機関は、一緒にやるべきだ。
現地では、大使が全権を持ってその下に農林省が入って、ワンヴォイスでやっていく。人道援助の
赤十字社のような国際機関は100年以上かかって積み上げてきた。他の機関も独自の理念を持っている。
ルワンダでIDP(フツ族国内避難民)がRPAに追いかけられたので、フランス軍が一時的に介入し、
セーフゾーンを作って水・食料を与えて3ヶ月間保護した。「国際法に基づいて、その人の意思に
反して強制移動させるこことは出来ない」という理念がある。台湾に流れ着いたボートピープルの
強制送還を最後は政府がした。ルワンダではヒューマンセキュリティとナショナルセキュリティが
対立した。この場合、強い方が勝つ。家に帰そうとした。予想外だったのは、10万人以上の人が移動
する日に大雨が降ったので計画通りうまく移動できず、子供たちが走って逃げようとしたので少年兵が
止めようとして発砲し、3000人近く死者が出てしまった。理念・考え方をどのように総括的にしていく
かが大事である。
では、日本はどうしたらいいのか?日本は世界に大いに貢献できるが、それには基本的世界観を確立
すべきである。1000人の警察官の司令官は「寄せ集めの警官なので命令を聞かない。」と言った。
02年に東ティモールで暴動が起き、暴徒が総理公邸に放火し投石した時、自衛隊は徒歩10分の所に
690人いたが、日本の憲法ゆえに出動できないのはわかっていたので、3時間かかる所にいたポルトガル
兵に来てもらった。兵隊がトラックに乗って市内を一周するだけで暴動は鎮まる。現地によって状況は
異なるのに、東京やパリやロンドンから指令している。究極的にはUN指導の軍隊を持つべきだ。
また、国を民主的にやっていくノウハウを日本は持っているので、UNの平和維持活動に参加して欲しい。
そして復興が大事なので、ODAでそれ相当の負担をして欲しい。
日本はよく自国を統治し、社会全体を考えて行動するシステムが出来ていると国際社会から見られている。
世界に出て行って国民への思いやりのある政治を教えることが出来る。

NPOの人からの質問:訓練されていないボランティアが海外で出来ることとは?

答え :その国のリーダーに会わせて、基本的なことを質問してもらうのが良い。悪事をしても
外国にはわからないのではないかと錯覚しているリーダーがいるが「あなたの国がどう成長して
いくか見守っている」という気持ちを強く出すのがいいと思う。
部族・民族アイデンティティは強くなっていっている。日本は「真実に忠実であること」を大事に
すべきだ。インドネシアで日本軍につかまって収監された13人のオランダ人に直接話を聞いたら、
ひどい扱いを受けたと言う人は意外に少なかった。日本は南京事件や慰安婦問題などで、真実を知り
たいという態度を保っていくべきだ。「そういう事は無かった」と言うと「真実に直面したくない
のだろう」という誤解を与えてしまう。マンデラ元大統領みたいな人に来てもらって委員会を作って
調べてもらうといいと思う。それから国家の安全保障の問題だ。